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「小堀流[八世] 小堀正優 宗中」
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小堀流[八世] 小堀正優 宗中
先代在世中に小堀家の断絶があり、その40年後に小堀本家を復興させたのが八世小堀宗中です。天明六年(1786年)に六世正寿の息子として生を享け、京都孤篷庵に育ちます。苦境の時でしたが、父正寿から茶の湯の指導を受けるとともに、先代七世のよき友人であった小田原の冨岡友喜からも教えを受けたとされています。時には流浪の中で茶の湯を学んだ宗中でしたが、審美眼にも優れたこともあり、それを惜しんだ周囲の動きによって旗本に取り立てられます。宗中、不惑の年を越えてのことでした。この功により、文字通りの中興の祖と称されています。
流浪の最中にあっては、その優れた目利きを買われて尾州徳川家に招かれています。そこで数年にわたって徳川家御蔵器財の目利きと分類に務めます。このように非常に優れた審美眼であった宗中は、お家復興にあたり伝来の茶の器物をすべて返してもらえた際には、それらの目利きを改めて行い、整理し分類する作業を行っています。また、遠州からの三代に倣って目利き、見聞きした道具の記録を残しており、その手も非常に優れた能書であったとされています。かな書は御家流に準じていたようですが、一字書、一行書では清代の何紹基にも通じるような独特の隷書を残しており、後代でも宗中風を学ぶものが少なくないそうです。
また、狩野派との交流も深く、遠州と狩野探幽と同じく狩野三家との合作も多く残しています。道具については、遠州以来廃れていた遠州好みの窯に新たに焼かせることもしています。さらには、対馬、釜山にも道具の発注をしていたとされており、現在の茶風、道具の好みにもその面影が残されているそうです。
非常に優れた審美眼であった宗中
旗本とはいわゆる幕府直参の武家です。「旧き家筋目の儀につき、召し出す」とあるように、小堀遠州の直系が途絶えることを惜しんでのことでした。本流の正方の血筋は途絶えましたが、宗中は五世正峯の外孫に当たることから、本家の復興に取り上げられました。復興の際にはわずか三百俵の小身でしたが、5年後には小姓組、小十人頭、御先手鉄砲頭、さらには勤仕並寄合にまで取り立てられています。流浪の最中にあっては、その優れた目利きを買われて尾州徳川家に招かれています。そこで数年にわたって徳川家御蔵器財の目利きと分類に務めます。このように非常に優れた審美眼であった宗中は、お家復興にあたり伝来の茶の器物をすべて返してもらえた際には、それらの目利きを改めて行い、整理し分類する作業を行っています。また、遠州からの三代に倣って目利き、見聞きした道具の記録を残しており、その手も非常に優れた能書であったとされています。かな書は御家流に準じていたようですが、一字書、一行書では清代の何紹基にも通じるような独特の隷書を残しており、後代でも宗中風を学ぶものが少なくないそうです。
また、狩野派との交流も深く、遠州と狩野探幽と同じく狩野三家との合作も多く残しています。道具については、遠州以来廃れていた遠州好みの窯に新たに焼かせることもしています。さらには、対馬、釜山にも道具の発注をしていたとされており、現在の茶風、道具の好みにもその面影が残されているそうです。