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「裏千家[七代] 竺叟宗室 最々斎」
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裏千家[七代] 竺叟宗室 最々斎

 代継ぎも唐突であれば、その代の終わりもまた唐突であった七代最々斎。後世に伝えられるところ少なく、人となり、生き様に不明な点が多いのですが、独特の優れた好み物を残すことで、後々まで人々の想像をかき立てました。 最々斎は表千家覚々斎の次男で幼名を政之助といいました。兄・如心斎とともに漢学を学んだ記録も残されています。先代六閑斎は後嗣がなく、早くから政之助を養子にと働きかけてはいましたが、その段取りをつけたのは死の間際という状態でした。そのため、18歳で今日庵を継ぐ際は大変慌しく、その後、存命中は父の覚々斎から、その後は如心斎から茶道の手ほどきを受け、勤めを果たしていくことになります。
 催した茶会もそれほど多くなく、残された茶会記もほとんどないため、どのようなを点てる人物であったのか、記録は残されていません。しかし、手作りの道具、好み物が、その在世期間中に比して非常に多く、そこから人となりを推し量ることができます。

思わず手にとってしまいたくなるような優しい愛嬌

 もっとも有名な道具は「寒雲棗」「駒留棗」など、独特の形をした茶入です。本歌(最初に作られた真作のこと)はともにいわれのある桜の木で作られており、全体として非常に丸みを帯びた形状で、歴代の棗の中でもっとも珍重されている品となっています。また、現在よく写しが作られているものに、これまた独特な形をした円筒形の日出棗があります。 これらの茶入や、手捏ねの茶碗などに共通しているのは柔らかな愛嬌です。侘びをよく体現しながらも、思わず手にとってしまいたくなるような優しい愛嬌。手にとって眺めれば頬も緩んでくるような心持ちにもなります。また、手作りの茶杓が非常に多く残されており、その多くがいわゆる胡麻竹の茶杓で、竹の景色が豊かな品々です。最々斎が景色を選びながら作るさまを思い浮かべると、ほほえましい気持ちになってきます。
 記録は残されていませんが、このように最々斎は非常に柔らかで、芸術的センスに敏感な人物であったのでしょう。妻を娶る前に25歳という若さで急逝したため、後嗣もなく、次代は実弟の又玄斎一橙が継ぐことになります。