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「片多徳郎」
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片多徳郎

片多徳郎

片多徳郎は大分県出身の洋画家です。今の豊後高田市に8人兄弟の5男として生まれました。東京美術学校(現東京芸術大学)の学生のころ、文展に初入選して、それから、連続して賞を受賞して、若くから注目をされ始めました。一時期中学校を卒業後、小学校の図画教師となりましたが、東京美術学校西洋画科に入って、黒田清輝、岡田三郎助などに師事しました。この時代に「夜の自画像」を描き、初入選します。以後、次々に賞をもらい、注目度が上がっていきます。何度も賞をもらったので、大正8年の第1回帝展では、無鑑査の推薦を受けて、以後監査外出品資格者となります。彼は生涯を通じて、約500点の絵画(油絵、日本画、素描など)を残しました。33歳のときには帝展審査委員となり、その後も何度も審査委員をつとめます。大正12年ごろには、アルコール中毒になり、禁酒もなかなかできず、昭和初期から入退院を繰り返して幻覚を見るようにもなり、昭和9年44歳のとき、名古屋市本願寺の裏手墓地で、自殺。明治から昭和の初めにかけては、封建的な時代から近代新時代へ変わろうとする流れがあり、留学を終えて帰ってくる芸術家たちの個性尊重などの近代芸術思潮の波が押し寄せた時代でもありました。

破滅型の画家と呼ばれることも

片多徳郎の作品はおおよそ3期に分けられ、第1期は、印象派風の明るい色彩のある作品、作品としては、「黄菊白菊」、「或人の母」です。これはフランスに留学していた黒田清輝の外交派の作風を受けた結果、第2期は、後期印象派のような日本の和風色の強い作品を描いていました。第1期とまるで反対の暗い重みのあるどっしりとした東洋的な世界観を描いて、第3期は、密度の濃い、写実的な作風になりました。人々の話題にのぼり、画壇では人々に認められていたにもかかわらず、酒で体を壊し、自らの命を絶ちました。 自分を追い込んで作品を描く画家、彼を破滅型の画家と呼ぶ人も少なくありません。画家の曾宮一念は、片多徳郎が酒を飲まないで描く作品は常識的でつまらない作品で、酒が入ると、マイナスでなく、大胆に仕事に酔う状態で、このときはすばらしい作品ができたと言っています。