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「三岸好太郎」
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三岸好太郎
流星のように時代を駆け抜けた洋画家、三岸好太郎。第二次世界大戦前、1900年代初頭に活躍した三岸好太郎は、その31年の余りに短い生涯で日本の洋画界に大きな影響を与えた画家です。1903年くしくも版画界の巨匠棟方志功と同じ年に札幌に生まれた好太郎は、現在の札幌南高等学校の前進である札幌第一中学校を卒業し、画家を志して1921年に上京します。そしてそのわずか2年後の1923年には第一回春陽展で『檸檬持てる少女』が入選します。そしてその翌年の第2回春陽展では『兄及ビ彼ノ長女』で春陽会賞を主席で受賞し、一躍注目を集めます。
幾度も作風を変え、流星のように日本洋画界を駆け抜た
『檸檬持てる少女』は、偉大なる日曜画家と言われるアンリ・ルソーの色彩を彷彿とさせる素朴で、しかし温かみのある作風です。しかし、晩年の好太郎の作風は岸田劉生などの影響を受けたものに変化していき、その色彩はさらに鮮やかさを増していきます。1930年には独立美術協会の結成に最年少会員として参加した好太郎。独立展で発表した「面の男」では、フォービスムの影響を多大に受け、急速に前衛主義に傾倒していくこととなります。 そして、自身の享年となる31歳の年。1934年には連作「蝶と貝殻」を発表します。その東洋的な叙情を感じさせる乾いたエロティシズムは彼の晩年の代表作であると言えるでしょう。旅行先の名古屋で突然31歳の短い生涯を閉じるまでに、幾度も作風を変え、流星のように日本洋画界を駆け抜けて来た好太郎。彼が、もう十年生きて作品を書き続けていれば、どのような作風になったのか想いを馳せてしまわずには居られません。好太郎の妻として、決して長いとは言えない10年間の結婚生活を共にした三岸節子は炎の画家と言われる画家です。その三岸節子の生涯を記した吉武輝子の著作では先頭に鮮やかな赤色の着物。まるで炎のような色の自身の自画像がおさめられています。二人の天才画家がお互いを高め合って居たのがうかがわれますね。