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日本画 木村武山
木村 武山(きむら ぶざん)は1876年(明治9年)茨城県笠間の藩士木村信義の長男として生まれた日本画家である。 物心つくころから南画に親しみ、12歳で「武山」の号を用いていたほどであるが、そんな画業一筋の彼の経済を支えたのは「笠間銀行(現・常陽銀行)」を創立するほどの実業家であった父である。 明治24年に東京美術学校(現・東京芸術大学美術学部)に入学、同校教授の下村観山と人生を共にすることになる。 1898年(明治31年)に岡倉天心、橋本雅邦 、横山大観 そして師である下村観山等が創立した「日本美術院(現・院展)」に参加、その6年後には岡倉天心、 横山大観等とともに「関東の松島」とまでいわれたほど風光明美な五浦(現・茨城県北茨城市)へ一家をあげて同行、彼の作品の大多数がここで生まれた。 日本美術院は世評に晒されたり経営が苦しくなったりと紆余曲折があったのだが、木村 武山が経営者、評議員、同人の三役を兼ね、その後の院の中心的な役割を果たした。 亡くなる5年前に脳溢血で右手の自由を奪われたのだが、それ以後は左手で作画を果たして見せ、「左武山」の異名を取った。 その作風は「日本を代表するカラリスト」と言われるほど優れた色彩感覚を持った画家である。 生涯にわたり彼が描いたテーマは、歴史画、花鳥画、障壁画など多岐に渡る。 歴史画としては、「平家物語」巻11の哀話にとった「祇王・祇女」があり、悲運の恋に生涯を送った祇王の立ち姿を透けるような衣の描き方で表現しており、こころ気高く、静かに生きる姉妹の気品が漂う一作となっている。 「日盛り」は絹本金地着色の六曲一双屏風の花鳥画である。 「青色」の葉を豊かに茂らせた桐の若木を装飾的に描き、桐の葉の隙間から顔を覗かせる立葵は「白色」、凌霄花(のうぜんかづら)は「赤色」、そして黄蜀葵(とろろあおい)には「クリーム色」と実に巧みに色彩を使いこなしている。 まさにカラリストと呼ばれるに相応しい作品である。
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