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日本画 山本倉丘
日本画・山本倉丘は1893年に生まれた日本の画家です。日展の参与に推挙され、画家として最高峰の賞である、勲四等旭日章を受賞するなど日本の美術界の重鎮として広く知られています。特に戦後を中心に活躍をしていた山本倉丘は、画風を戦後にかけて油絵を中心とする西洋画の技法を巧みに取り入れた日本の伝統を描いていきました。日本画の持つ端正な品格も忘れない素晴らしい筆遣いにも高い評価を得ているのも特徴でしょう。さて、そんな山本倉丘なのですが、入野高等小学校を卒業した後には、高知県の市内の呉服店の店員として働きだします。しかし、心の底には絵画を描きたい、という熱い情熱が渦巻いており、独学で様々な作品を日々描き続けています。そして、本格的に絵画を学ばなくてはいけない、と決心をし京都に上京することになります。まず、画僕になることを決めたのは山本春挙です。画塾である早苗会に入塾をし、絵画の技術に研磨をしていくことになります。本格的に日本画を描いていた山本倉丘はその魅力に取り憑かれ、京都市立絵画専門学校に入学し基礎を学び、様々な賞に出品をしていきます。第7回帝展になんと、「麗日」が初入選、しかもこの後の帝展においても連続で入選を成し遂げるのです。そんな山本倉丘は花鳥画を好み、その美しい構図で描かれる作品は数々の評論家を唸らせます。その山本倉丘の作品でも直線的な美しさで人気がある「紅白梅」を紹介しましょう。キャンパスの中心に美しくも繊細に描かれる花と葉、紅白ということもあり、その花の赤と白の対比が激しさよりも、可愛らしい甘美さをも感じさせます。伝統的な日本画としての見方もできますが、何よりその思い切りのよい構図は山本倉丘の持つ自由な精神をも知り得ることができるのです。師である山本の私語、画塾は解散するものの、義兄であった堂本印象の主催する東丘会に入塾し、数々の輝かしい活躍をしていきます。晩年に近づくにつれ、自らの画風を完全に確立していき、日本美術院賞なども受賞する日本画壇としても名を挙げ続けていきます。遅いデビューではあったものの、その実力や才能は類を見ない山本倉丘。彼の描く芸術の精神は今も衰えることを知らないのです。
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