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日本画 本阿弥光悦
日本画家・本阿弥光悦は1558年に生まれた日本の芸術家です。京都に生まれた本阿弥光悦は、絵画に止まらず、工芸家に書家、出版社に能面打ちなど数々の顔を持つ器用な人物であったと有名です。さらに、寛永の三筆としれ数えられる程の腕前であり書家としても素晴らしい成功をおさめたことでも広く知られているのです。生家は由緒正しい伝統を守る刀剣を鑑定していく名家に生まれます。数々の工芸技術が重要であった刀剣の目利きを幼少の頃から教わり、美しく素晴らしいセンスを身につけて生きます。さらに、和歌や書にも興味を強く抱いた本阿弥光悦はその教養の高さを利用し芸術作品を創造していくようになります。数々の功績を残し、地位も名誉も上げていった本阿弥光悦でしたが、40代の頃にも才能がありながら恵まれない、芸術家などを目利きで採用し、その後の美術界に大きな貢献をしていることでも有名であり、指導者としても高い眼力を持ち合せていたことでも有名なのです。そして、最高の作品として名高い「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」を自らが発掘した天才芸術家の俵屋宗達との合作で完成させます。本阿弥光悦は書家としても、その構図もまさに見事なものであの徳川家光に「天下の重宝」まで言わしめたほどの天才書家でもあったのです。今までの日本の作品の伝統を残しながらも、完全に型破りな方法で描かれるこの作品は、音楽を奏でているようなリズム感と躍動感を感じる素晴らしいセッションを築き上げたのです。しかし、京都に大きな土地を与えられ暇を与えられた本阿弥光悦。この逆境を利用し、さら画家として創作三昧の活動を行うことになり、20年以上この生活を続けています。その時に、本阿弥光悦の呼びかけで数々の工芸師達が集まり、「光悦村」と呼ばれる場所を作ったことでも有名です。この当時であれば、まだ言葉はなかったかもしれませんが、日本最初のアートディレクターとしても名を広く知られているのです。天才の名を欲しいままに生きてきた本阿弥光悦。しかし、その状況に自惚れることなく、数々の陶工を育て上げ自らもその才能で新しい芸術を作りあげ続けた、全身芸術家のような人間であったのではないでしょうか。
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