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日本画 加山又造
伝統と革新の調和、日本画家・加山又造。加山又造は終戦後の昭和に活躍した、戦後の日本画会を代表する日本画家・版画家の一人です。敗戦の影響下の中「日本画滅亡論」が唱えられた戦後の日本。日本画会全体が西洋的な価値観へ向かっていった時代、そんな時代の中で伝統的な日本画を基として日本画の本質を模索した加山又造。昭和2年に西陣織の衣装図案師の父親のもとに生を受けた加山又造。祖父は江戸時代後期に写生的で親しみやすい画風で人気を博した円山応挙を祖とする円山派に学んだ絵師の田辺玉田でした。そうした家庭環境で生まれた加山又造が、父や父の弟子たちの仕事を見、伝統的な日本画に傾倒していくのは至極当然の流れと言えるでしょう。しかし、加山又造の生きた戦後の時代は決して日本画家に恵まれた環境とは言えませんでした。東京藝術大学の前身である東京美術学校に進学した17歳は1944年。つまり戦中まっただ中にあったその時代の中で、翌年の1945年には遠く山口へ学徒勤労奉仕に赴きます。そして戦後すぐに父親が亡くなってしまいますが、母や妹に送金をしながら東京で絵を学び卒業後に山本丘人に師事し画業に歩み始めました。加山又造の画風はシュールレアリズムやキュビズム等と言った西洋画の影響を多様に受けながら、それでも日本画の伝統美へのこだわりを感じさせるものです。その卓越した技法や独創的な構想力を基に、当時日本画では使用される事のなかったエアブラシ等の多様な技法を試みていました。そして、浮世絵の線画の美しさ。日本画の伝統美を追求した「黒い薔薇の裸婦」は、作家渡辺淳一の作品の表紙を飾りました。晩年、BMWへのカーペイントや空港ロビーの壁画の原画制作など、創作への意欲を全く失う事のなかった加山又造。その日本画会への功績が認められ、2003年。文化勲章を受章しますが、その時すでに病を患っており。翌年76歳でこの世を去ります。そして加山又造の象徴的とも言えるのが、亡くなった晩。満開の桜の季節であった事。戦後の日本画会に咲き誇り、そして多くの人に愛された加山又造を送るような桜であった事でしょう。
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