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「向井潤吉」
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向井潤吉
向井潤吉は1901年に生まれた日本人洋画家です。40年以上に渡って北海道と鹿児島を旅をした生涯を過ごしています。向井潤吉は元々、父親が宮大工の仕事をしている関係で職人が屏風に刺繍屏風などをしていたので、美術への道を志していました。京都市立美術工芸学校に入学はするものの、油彩を描きたいという思いで中退、その後は関西美術大学へ入学しています。4年間の勉強の末、実力を付けた向井潤吉は二科展に初入選しています。向井潤吉の画家人生を語る上で欠かせないのが、1927年に渡ったフランス旅行です。このフランスに渡り、貧乏生活を強いられながらもルーブル美術館に向かい模写に励んでいます。この頃の向井潤吉に関しては、荒々しいフォービスムを描いているような作風を多く残しているようです。しかし、その後の彼の作風は全く違うので強くフランスの絵画に影響されているのがわかります。また、その後は戦争画などを描きます。中国の蘇州などの戦争画を描き、今度は非常に写実的な作品になり大きな評価も得ています。そして、この向井潤吉を語るのであれば民家の絵画です。終戦の年に描かれた新潟県の川口村を描いた作品が、出発点です。その後描かれた向井潤吉の民家作品はなんと2000点を越えるとも言われています。特に埼玉県の民家を多く描いた向井潤吉ですが、その中でも高名な作品が1984年に描かれた埼玉県の河越市郊外を描いた作品です。春を間近に迎えた民家を奥手に清冽に流れる川、今からは花を咲かすだろう木々が描かれています。完全なる写実力で、見るものを郷愁に誘い、温和な情緒溢れる作品になっています。雪が残る土上にまだまだ春の訪れは先に感じさせておきながらも、空模様は既に陽春を迎えそうな色合いで描いており、日本の郷土の味わい深い風景が感じ取れるのです。その後も数々の賞を受賞していきます。世田谷美術館の分館としてのアトリエも設立されるほど、美術界に貢献しています。多くの遍歴を持つ向井潤吉ですが、最終的には民家を描く、という人生の目標に向かい描き続けました。彼の功績は後世に語り継がれることでしょう。