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日本画 中村不折
日本画家 中村不折は1866年(慶応2年)に生まれました。書家としても高名で、現在でもいたる場所で中村の書は使われています。あの夏目漱石の「吾輩は猫である」の挿絵を手がけていることでも有名です。中村不折は本名は「鈼太郎」、長野県で教員をしていましたが、上京した後に小山正太郎の師事しています。1901年、絵画の技術や自らの芸術を高めるために渡仏してアカデミー・ジュリアンでジャン・ポール・ローランスに師事しました。約4年間にも及ぶ期間、人物画を徹底して学び、綿密な構図を基礎につけ確固たる技術を取得しました。躍動的で力強いその作風を身につけた中村不折は、帰国後も精力的に活動をします。また、同時に自らの学んだ技術を後世に伝え、日本の美術界の発展を臨み、太平洋洋画会研究所において教鞭をふるいました。また、彼を語るのであれば「書」は欠かせません。日清戦争従軍記者として中国に赴いた経験が中村不折の運命を変えます。これをキッカケに半年をかけ、中国・朝鮮を巡遊しており碑拓など漢字成立に関係する様々な参考書類を日本に持ち帰ります。この行動が中村不折独自の芸術的な書の画風となり、同時に自らの絵画にも大きな影響を与えるのです。鬱蒼とした重鈍な雰囲気を持つ作品「懐古」は、初老の男が全裸でうつむき、今までの人生を悔いいるような思い詰めた表情が独特の作品です。その書的なデッサンで描かれる世界観は余計な装飾をする必要もなく、圧倒的に見るものの心を掴んで離しません。絶妙な角度で入る陰影、そして哀愁漂う幻想的なタッチ。どれをとっても天才のなせる技として見ることができるのです。中村不折の先鋭的な芸術的感性は当時、理解されなかったこケースも多々ありました。1907年に描かれる「建国剏業」では、天照大神とそれを守護する7人の男神を全て裸で書くと言う大胆な作品ですが、当時の文部大臣が不敬であると激怒した記録があります。斬新で常に革命的な作品を作り続けた中村不折。彼こそ、日本で数少ない本物の東洋の芸術家だったのに違いないのです。
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