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「掛軸 上村松篁」
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掛軸 上村松篁

上村松篁

掛軸画家 上村松篁は、1902年に生まれです。この上村松篁は母が、かの上村松園であり、親子2代で文化勲章を受章している史上初の画家としても有名です。京都府京都市中京区生まれの上村松篁は、幼い頃から非常に絵画が好きであり、母の後をなぞるように日本画家への道を本格的に目指します。1921年には、絵画の基礎を徹底的に学ぶために、京都市立絵画専門学校に入学しています。さらに、その入学と同時に絵画をより広い角度から学ぶために西山翠嶂に師事をします。多くの絵画を絵画を学び、そして自分の芸術に昇華していった上村松篁は、早くから才能を現していきます。1921年には、ついに帝展に出品した「閑庭迎秋」が初入選を果たします。まだ、在学中であった上村松篁は、その存在感を美術界に強烈にアピールしていきます。そして、数年後に京都市立絵画専門学校を卒業し、4年後には帝展に出品する「蓮池群鴦図」が、特選を受賞するという、快挙を成し遂げることになります。そして、実力も名声も手に入れることとなった上村松篁は、その後、より日本画の美しさに新しい革命を起こして行くために、 奥村厚一や秋野不矩、山本丘人などの画家達と、「創造美術」を結成する事になります。この団体で、多くの作品を発表していき、後に美術界にも大きな影響を与え続けることとなっていきます。上村松篁と言えば、その画風、徹底した描写が有名です。何と、鳥観察をする事だけで、インドやオーストラリア、東南アジア等を旅行することとなり描写。その事に影響を受け、より身近に観察する為に、アトリエ敷地内に鳥小屋を造って、何と1000羽以上の鳥を飼うという事を行っていたようです。自らの芸術における、徹底降りは未だに美術界では語り継がれています。勿論、その功績も華やかで、芸術選奨文部大臣賞に勲三等瑞宝章、文化功労者など数々の名誉ある賞を受賞しています。心不全で98歳という年齢でこの世を去りましたが、大往生だったのでは無いでしょうか。最期まで、日本画家として生き続けていた上村松篁。どんな芸術家の中でも、取り分け幸せな日々を過ごせた人物なのです。