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「掛軸 太田聴雨」
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掛軸 太田聴雨

太田聴雨

掛軸 太田聴雨は、1896年に生まれました。「星を見る女性」が特に有名で、和風の女性と天体望遠鏡を合わせる姿を、独特なタッチで描かれる世界観は、太田聴雨ならではの深さを感じさせる秀作となっています。人物画は勿論なのですが、太田聴雨自体は歴史画であったり花鳥画なども多く描いており、その美しい作品には多くの人々が酔いしれています。古典的な作風でありながら、時代的な要素も含まれるバランスの取れた作品は非常に定評があります。太田聴雨は、最初の頃は、川端玉章の門下である、内藤晴州に師事することになります。さらに、高いレベルでの絵画を描き学び続けるために、青樹社を結成。さらに、前田青邨に師事をすることになっていきます。そして、第1回日本美術院賞についに「浄土変」が入選。日本画家、太田聴雨が誕生します。太田聴雨は、その後は院展を中心とした活躍を見せて行くことになります。「種痘」や「山陽母子」、「西郷南洲と橋本景岳」など、日本的であり古典的な作品を数多く描いて行きます。現代風俗や古典、この辺りに影響を受け、作品作りのアイデアソースとして常に探求していたということでも知られています。文学をこよなく愛していた、というエピソードをもっている太田聴雨だけに、その絵画のタイトルも文学からの派生の物が多いも特徴です。非常に、ロマンチストであったと言われている太田聴雨らしいエピソードでもあります。太田聴雨の作品というのは、基本的には全て水彩画となっています。優しく、繊細なタッチで描かれながらも、中身は古典をモチーフにした深く歴史のある作品となっているのです。太田聴雨は、日本の美術界への後進へも貢献しています。東京芸術大学助教授として教鞭を振るっていたということです。大正期から昭和期にかけ、日本の美術界を独自のスタイルで席巻しきた、太田聴雨。彼の活躍は永遠に語り継がれることでしょう。