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「洋画 萬鉄五郎」
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洋画 萬鉄五郎

萬鉄五郎

数多くの自画像を描き、毒のあるポップでユニークな作風と深みのある芸術性の高い色使いで美術界をリードした洋画家が、萬鉄五郎です。日本における近代美術の先駆者として生涯奔走し、様々な功績を残していった偉大な画家としても知られています。さて、そんな萬鉄五郎なのですが、1885年に岩手県和賀郡東和町生まれます。幼少の頃より、洋画や芸術に深い興味を持ち続け、高校を卒業したのちは本格的に絵画の勉強をするために上京をしています。そこでは、東京美術学校に入学。日々、研鑽を続ける日々を送って行きます。前衛美術に興味を持っていた萬鉄五郎は、岸田劉生に高村光太郎という気鋭の画家たちが結成したフュウザン会に参加し、より当時の最新の美術へと傾倒を見せています。ポスト印象派であったり、フォービスムの絵画など、国内では見る事のできないような新しい美術様式にいち早く感銘を受けていたと言われています。ゴッホ、アンリなど印象派にも影響を受けており、アカデミックな洋画が主流だった日本の傾向にメスを入れるような斬新な作品を多く発表しつづけていきました。故郷に戻っている萬鉄五郎なのですがここでは、経営などは妻に全て任せて、自らは制作に没頭する日々を送ることとなります。茶褐色な色使いで描かれる数々の作品を描きますが、1917年には、二科展でキュビスムを思わせる作品を描きだした「もたれて立つ人」を出品。日本の洋画界に衝撃を与えて行くこととなります。多様な絵画表現に裏付けされて行く萬鉄五郎の作品は、自画像を中心に今まで国内では見たものがいないような、新たな世界観を生み出し続けて行きます。しかし、晩年になってゆくと新しく南画の未来を描き取るような動きを見せ、鉄人会を結成し南画の研究に没頭していきます。1927年まで、自画像も多く描き、その足跡を顔というモチーフで表現し続けた萬鉄五郎。洋画家の中でも、特異な存在であり、その世界観は未だに前衛美術に影響を与え続けているのです。