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「古書 沢庵(宗彭)」
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古書 沢庵(宗彭)
安土桃山時代より、江戸時代前期にかけての臨済宗の僧であった骨董買取・沢庵(宗彭)。大徳寺住持しており、多くの功績をのこした偉大な僧であると広く知られています。さらに、沢庵漬けの考案者とも言われており、文化的にも広く貢献をした人物とされています。沢庵(宗彭)は、秋庭綱典の次男として但馬国出石に生まれています。 しかし、8歳の頃に父が浪人してしまった事により、10歳という若さで出石の唱念寺で出家。結果的に、春翁の法諱を得ることとなっていきます。その後には、宗鏡寺に入り、希先西堂に師事をします。様々な経緯を経て、結果的には薫甫宗忠を宗鏡寺の住職に招かれたことにより、沢庵は薫甫に師事します。 1594年には、薫甫が大徳寺住持として上京していきます。結果的に、この流れに乗って大徳寺に沢庵(宗彭)も入ることとなります。春屋によって薫甫が住職に任命されたことで、沢庵自体も佐和山城に同行します。そして、翌年までそこで過ごすこととなりました。その後、薫甫が亡くなった後には、和泉国堺に出ることとなり、文西洞仁の門下となり過ごします。 南宗寺陽春庵の一凍紹滴への師事を経て、沢庵の法号を手に入れることとなったのです。さらに、1607年には沢庵は大徳寺首座となり、大徳寺塔中徳禅寺を住居とし、南宗寺にも住持。しかし、結果的には隠居の生活をしていると伝えられています。しかし、人生は波乱となっており、紫衣事件などにより、沢庵は出羽国上山へ流罪されてしまいます。 しかし、大御所・徳川秀忠の死と共に、大赦令が出されます。結果的に、紫衣事件に連座していた者は、天海、堀直寄、柳生宗矩などの尽力により助けられることとなりました。沢庵は、結果的には上京は許されなかったものの、江戸に戻ると、家光の創建した、萬松山東海寺に初代住職として生活することとなります。 沢庵の最後は、「夢」の一文字を書き残し、筆を投げて示寂と言われています。古書買取においても、沢庵(宗彭)の書などは非常に人気があります。素晴らしい僧として、そして波乱の人生を送った沢庵(宗彭)。彼の生き様は、多くの人々に語り継がれることでしょう。