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「武者小路千家[五代]_文叔宗守_許由斎」
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武者小路千家[五代]_文叔宗守_許由斎

武者小路千家[五代]_文叔宗守_許由斎

 武者小路千家として成立して二代目、開祖利休から数えて五世に当たるのが許由斎ですが、歴代の中でも伝聞が非常に少ない宗匠のひとりです。中国では古来二代目の王を「継体守文君」と呼び習わします。これは、開祖の教えをよく守り国を平和に治めよという戒めでもありますが、許由斎の号「文叔」はこの故事に由来します。歴代では「地味」と称される許由斎ですが、まさに号のままに生きた人物であったのでしょう。とはいえ、優れた茶人であったことは間違いありません。わずかに伝わる許由斎の業績のひとつに、表千家七代如心斎の教えを記した紀州藩士横井次太夫の『茶話抄』があります。そこで許由斎は「一時の上手にてありけるよし」と賞賛されています。
 また、彼の茶の教えの言葉に「茶を点てるは心の業にてあれば、心は張りて、業は和やかにするが良し」とあり、茶への心意気の強さが見られ、優れた審美眼の持ち主であったと推察されています。というのも、先代から讃岐松平家への出仕が続いていましたが、それとは別に近衛家の茶道具に多く極め書を残しているからです。
 近衛家は五摂家のひとつで、天正年間には秀吉とのやり取りでその低迷振りを知られるところになりましたが、その権勢は依然として強く、許由斎が勤めを果たした当時の当主は博覧強記の文人、茶人として知られた近衛家熙(熙は熈)でした。公家茶道に通じ、当時の茶人との交流も厚かった家熙は茶道具の蒐集にも熱心で、多くの道具の鑑定を許由斎に依頼しています。その中には利休の茶杓、花入などもあったと言われ、許由斎の鑑識眼の高さを裏付けています。しかし、肝心の好み物、自作の道具については、まったくといってよいほど伝わっていません。ごくわずかに自作の花入、好み物に棗などが散見されますが、そのほとんどは表に出ることがなく、とはいえその品々には、確かに武者小路千家の思想である「伝統とは革新の集積」が早くも如実に現れており、見るものの目を楽しませてくれます。