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「武者小路千家[十代]_全道宗守_以心斎」
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武者小路千家[十代]_全道宗守_以心斎
先代宗匠、好々斎の養子として武者小路千家を継いだ十代以心斎は、表千家九代了々斎の実子です。茶の湯は了々斎と兄吸江斎から学んだようです。しかし、幼いころに患った痘瘡(天然痘)のために眼を悪くしており、やがて失明しています。そのため茶会などの家業は、先代の妻女であった宗栄が、門人であった木津宗詮の助けを借りて代行したと記録にあります。いつごろ失明したのか、詳細は伝わっていません。しかし、光を失う前に書や好み物をいくらか残しており、わずかに現代に残されています。よく知られたものに莨盆、一重切花入などがありますが、いずれも衒いのない素直な形(ナリ)をしており、コロ(頃合)も大変に優れています。
光を失いながらも優れた作品を残す
書で有名なものに、以心斎が円の窓(円窓)を描き、大徳寺の大綱和尚が賛を書いたものがあります。大綱和尚は武者小路千家の行く末に心を砕き、何かと協力を惜しまない人であったと伝えられていますが、この賛でも光を失った以心斎が、それでも人々の協力を得てまい進していると書かれています。大綱和尚のほか、実母も家業に協力していたようで、目の見えない息子に替わって箱書きをすることもあったそうです。 ちなみに、このときに以心斎、宗栄を助けた門人、木津宗詮は後に「彼なくしては武者小路千家の存続はなかった」とまで語り継がれながらも、正史で語られることの少ない人物です。郷里の大阪木津村の住職の家系でしたが、家督を弟に譲って江戸に出ます。そこで松平不昧公に見出され、公の進めもあって先々代の一啜斎のときに武者小路千家に弟子入りしました。木津家はこの宗詮から一家を成し、代々武者小路千家を陰に日向に支えていくことになります。初代は以心斎の、三代宗詮は一指斎と愈好斎の間の武者小路千家断絶の危機の際に大いに活躍しています。三代宗詮は貞明皇太后の御下命を受けて青山御所に茶室を作っており、その功のため一代に限り「詮」を「泉」に改めることを許されています。