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「表千家_[四代]_江岑宗佐_逢源斎」
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表千家_[四代]_江岑宗佐_逢源斎
表千家は、宗旦の子・江岑宗左が千家嫡流を継いだことに正式に始まります。後に兄・宗守が武者小路千家を、弟・宗室が裏千家を起こし、表千家と併せて三千家と呼ばれることとなります。また、江岑宗左以後、表千家宗匠は代々「宗左」を襲名することになります。江岑宗左は、父宗旦の助力もあって、紀州徳川家の茶頭を務めました。宗旦自身は仕官を嫌いましたが、江岑宗左はかなり奔走したそうです。千家の未来を考えてのことだと言われていますが、その甲斐あって、以後幕末まで表千家は紀州徳川家の茶頭を務めることになります。
その後、仕官で江戸詰めになったときに書かれた江岑宗左自筆の書が「江岑夏書」(こうしんげがき)です。息子の随流斎のために、父宗旦から聞いた利休のこと、千家茶道のありようについてまとめたもので、現在も表千家に伝来しており、その直筆の書は茶道の歴史の一級史料となっています。さらに、この聞き書きをまとめたものが『逢源斎書』として残され、そのほかにも、江岑宗左の手によるものとして『江岑咄之覚』『江岑聞書』『伝聞事』も残されています。
利休流の質素な道具を好んだ
江岑宗左の時代は、江戸幕府が確立し天下泰平に向かいつつある時代でした。また、紀州公の茶頭としての地位も確立し、千家の地位も確固たるものとなり、かつての苦渋を嘗めることもなくなりました。非常に落ち着いた時代をすごしたのが江岑宗左の代だったとも言えるでしょう。 江岑宗左は、宗旦から聞いた利休の教えを丹念にたどりなおすことで、千家茶道のありようを再構築しようとしたのかもしれません。 茶道具も同じように、奇をてらうことなく、侘びに行き過ぎることもなく、利休流の質素な道具を好んだと言われています。茶道具では竹の花入、茶碗では「柴の庵」などが江岑宗左ゆかりの品として有名です。 また、それとは別に、滑らかな風合いの造作を好む傾向もあり、紀州の表千家下屋敷があった三木町にちなんだ白木作りの「三木町棚」、朱塗りの水桶などを好んで作らせたとも伝えられています。