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お道具類
骨董品 お節句の道具は初めは、お祓いや厄除けの意味から始まったのです。江戸時代に入って、雛祭りでは女の子の幸せを願っての女性の祭りとして雛人形が飾られてきました。雛人形は、最上段に飾られるのは女雛と男雛で内裏雛と呼ばれています。それに三人官女、五人囃子、ずいしんなどを加えた15人をきまり物と呼んで、それがひな人形一揃いです。雛人形にも流行があって、江戸時代から流行り廃りがあったと川柳や笑い話に書き残されています。雛飾りと雛道具は、武家の婚礼道具を模型化していて、大名の婚礼には婚礼調度と同じ様式の雛道具がそろえられたのです。江戸時代の大名家は女の子が生まれたらすぐ雛道具の準備に取り掛かったと言われていますが、本当に女の子が生まれたら大変だったでしょうね。江戸時代の女の子たちは雛祭りに友達同士で雛道具でままごと遊びをしていたのですが、これは嫁ぐ日のための家事のおけいことされていました。雛祭りの七段飾りは江戸時代の後期ごろまでに完成しました。飾り方の違いが土地によってあり、その最も大きな違いは京都などでは男雛が向かって右ですが、昭和天皇の即位にならった現代式では向かって左が男雛なのです。これはどちらでも自由なのです。あとの位置は土地柄にかかわらず一定です。昔は、立派な七段飾りや五段飾りが主流でしたが、住宅事情などを考慮して、小さなケースに内裏雛だけの場合も、小さな三段などがショーケースに入って飾られたり、様々なものが作られるようになりました。今でも3月3日の雛祭りが終わっても雛人形を飾っていたら、お嫁になかなかいけないと言われています。これは、しつけの一つだったおうで、女の子がいつまでもお祭り気分で騒いでいたらお嫁の貰い手がありませんよということで、季節が来たら出して、終わったらきちんと片付けるというしつけからきたようです。お雛様はかつて嫁入り道具の一つに持たせるという風習がありましたから。本当にいいものだったら、子から孫へ代々受け継がれて何代もの人に可愛がられて残るのでしょうね。雅なお雛様はやはり女の子の憧れです。