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「[金物師] 中川浄益(なかがわじょうえき)」
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[金物師] 中川浄益(なかがわじょうえき)

 千家十職のひとつで、金物師(かなものし)の家。 初代は中川紹益で、当主が浄益を襲名し11代に至った。2008年に11代浄益が87歳で死去したあと現在当主は空席となっている。

もともとは鎧や甲冑など武具を手がけていた中川家

 中川家の始祖は越後国高田におこり、1500年代後半(安土桃山時代)に京都にやって来た。金物を扱うとはいえ、もともとは鎧や甲冑など武具を手がけていた。 中川与十郎(紹益を名乗る前の名)は上洛したあとも引き続き武具を作っていたが、1587年に北野大茶会が催されたおり利休に湯沸=薬鑵(やかん)を求められ得意の打物(うちもの)の技を生かして作ったのが、今日に伝わる利休形腰黒薬鑵である。 もちろん利休は腕を見込んで依頼したのだが、その出来ばえに満足し、それを契機に以降紹益は茶道具を手がけることになった。
 二代目になると公に千家出入りの金物師になったが、紹益という名は当時の豪商、佐野紹益と紛らわしく不都合を生じるようになったため表千家四代江岑宗佐の勧めで改名、このときから浄益と名乗るようになった。 三代目は歴代の中でも鋳物の名手で、砂張製法(さはり:銅・錫・鉛の合金で鋳造が非常に難しいとされる)を発明して数々の名作を残した。

名跡の復興を望む声は大きい

 金物師が作るものは風炉、釜、水指、建水、蓋置などの皆具のほか、盆やキセルなど多様で、その材料も、鉄、金、銀(南りょう)、銅、青銅、真鍮など多種に及ぶ。金属素材の風合いや目的を考慮しながら、しかるべき茶道具に仕立てる金物師の仕事は、複雑な工程の中で確かな技術が求められる。
 中川家はまた、錺師(かざりし)と呼ばれたように金工の精巧な作品を得意とし、優れた技量を発揮した。狂いなく彫られた文様や緻密な象嵌、繊細な打ち出し、凛とした美しさと、金属を感じさせない柔らかさ、潤いある質感があります。浄益の金工は華やかな金を使いながら千家のわびの精神を損なうことなく茶道具の中に自然に溶け込んでいるのです。 金属の剛を軟の意匠で自在にあやつる秀逸な技術に復興を望む声は大きい。