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「古書 仙崖義梵」
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古書 仙崖義梵

仙崖義梵

自分の思うがままに生きた画家、仙崖義梵。 仙崖義梵は寛延3年にこの世に生を受けた江戸時代の画家で、臨済宗古月派の禅僧でもありました。仙崖義梵は自由奔放に生涯を歩んでいて、社会風刺、皮肉などを歌う狂歌にも親しみ、美濃国の新しい家老が悪行を働いていたことや、自身が美濃国を追放された際に狂歌を読み、当時の出来事を皮肉っていました。また、絵を依頼してくる者が多く、自分の家を便所に例えた狂歌なども残しています。多くの人が現れては紙を置いていく、そんな様子が、仙崖義梵の目には便所のように映っていたのでしょう。 仙崖義梵の作品はどれもさっぱりとした俗気が無いものばかりです。「指月布袋画賛」という作品がありますが、これは空を指差す太った大人とお尻を出した子供が月夜の中を歩き、ご機嫌な様子で何かを指差しています。その指の先へ目を向けると、当時の子守唄である「お月様幾つ、十三、七つ」という文字が目に映ります。この子守唄から、この二人が歩いているのが夜であり、月を見上げ指差しているのだとわかりますが、なぜか仙崖義梵は月自体を描いていません。月、というものを強く意識させる作品であるにも関わらず、それが描かれていないことに気付くと、どうしてか愉快な気分になってきます。それはこの描かれている二人がとても楽しそうな笑顔を浮かべているからなのでしょうか。仙崖義梵の作品は、このように人の心を和ませるような、そんな優しい魅力に満ち溢れているように思えます。 人の心を和ませ、自身の家を便所のようだと思うほど人の心を引き寄せた画家、仙崖義梵。彼の辞世の言葉は、「死にとうない」だったそうです。きっと彼にはまだまだ多くの遣り残したこと、やりたかったことがあったのでしょう。自由奔放にその人生を歩んだ仙崖義梵は、死という定めに納得せず、それに抗って自分が満足行くまで人としての生涯を歩み続けたかったのでしょう。そんな自由に生きようとする彼だったからこそ、描いた絵画の一線一線が優しさを帯びているのかもしれません。骨董買取・仙崖義梵の古書を買取いたします。