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「古書 古田重然」
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古書 古田重然
古田織部の通称で、戦国時代から江戸時代の初期にかけて武将として活躍をしていたのが、骨董買取・古田重然です。大名としての功績もありながら、古田織部の号により茶人としても広く活躍をしていました。この号は、壮年期に従五位下織部正の官位に叙任されていることも由来しており、実に大胆な作風で茶道を楽しんでいたといいます。 古田重然は、1544年に、美濃国本巣郡にある、山口城主・古田重安の弟である重定の子としてこの世に性を受けました。重定は自体「茶道の達人也」と家系図にも記されていることより、非常に茶道を愛する家系であることが分かっています。武将という道を歩ませながらも、やはり茶人としての強い薫陶を受け続けていた、ということが分かります。しかし、非常に変わり者でもあった、古田重然だけに、残されている書などでユニークなエピソードが多く残っています。 まず、この古田重然は最初は茶の湯が苦手であったとされています。しかし、中川清秀にそそのかされて、結果的に上々の数寄者となってしまった、と言われています。武将として、織田信長や秀吉などにも仕えており、様々な活躍を続けます。その一方で、1582年頃より利休に弟子入りをしていることも分かっています。 利休七哲の1人として挙げられる程の腕前になり、様々な茶道の神髄を広めて行きます。利休の追放などの事件の時にも、誰も見送りに行かなかった中、重然と細川忠興だけが堂々と見送りに行ったというエピソードが残っているほどです。 そして、利休がこの世を去った後には、まさしく天下の茶人としての地位を確立し、多くの功績を残し続けることとなったのです。古田重然は、朝廷・貴族・寺社・経済界と茶を通じて、顔を広げて行き、大きな影響力を持っていた1人だったということで知られています。しかし、徳川方の軍議の秘密を大坂城内へ矢文で伝えたと疑惑を欠けられ、自害。影響力の強さから存在を恐れられていた、とも考えられています。 古書買取において、非常に古田重然の作品は人気が高いことで知られています。これからも、ますます価格は上がって行くことでしょう。武将としてだけではなく、茶道の最高峰に上り詰めた古田重然。彼の存在が、多くの人間に強く影響をおよぼしたはずです。