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古書 山本玄峰
数多くの著名人が参禅に訪れる、静岡県三島市の龍沢寺の住職として有名であった人物、骨董買取・山本玄峰。「天皇は空に輝く象徴みたいなもの」として、天皇の権力で派閥の抗争を起こすことに胸を痛めていた象徴天皇制を示唆する人物でした。鈴木貫太郎に終戦を勧めたことでも有名であり、多くの政治家などにも強い影響力を持ち合わせていた人物として知られています。 そんな山本玄峰は、1866年に和歌山県東牟婁郡四村にあった湯の峰温泉の旅館・芳野屋に生まれます。盥に入れて捨てられていた乳児を、岡本善蔵・とみえ夫妻が拾うことで、養子にして岡本芳吉と名付けられたと言われています。山本玄峰は、十代の頃より筏流しなどの肉体労働に従事していたこともあり、岡本家を17歳の時に継ぐこととなります。しかし、1887年に失明をしてしまい、弟にその家督を譲ったとされています。 そんな自分は、四国八十八カ所の霊場めぐりへと旅立つこととなります。そして、自らの境遇を思いながら、7階目の遍路の途中高知県の雪蹊寺の門前で行き倒れとなってしまいます。しかし、太玄和尚にたすけられます。寺男として迎えいれられるのですが、その勤勉振りに太玄和尚が感動し、入門を許すこととなったのです。 結果的に、その後には雪蹊寺の住職になるまでとなります。さらに、その場に止まることは無く、様々な世界を放浪する道を選びます。アメリカやイギリス、ドイツ、インドなど数々を訪問しています。 結果的に、帰国後には推薦を受けることとなり、臨済宗妙心寺派の管長、龍沢寺の住職となっていくのです。あまり文字を知らなかったと言われていますが、非常に豪傑であり、剣の達人には「あの人は斬れない。衣と体がひとつになっている。ああいう人は斬れない」とまで言わしめる、影響力と生命力に長けた人物として知られています。 龍沢寺自坊で96歳をもって断食をし、遷化します。葬式にも、数多くの著名人がやってきたと言われています。古書買取に関しても、山本玄峰の作品は影響力が強いとされます。日本の行く末に影響を与える住職、山本玄峰。彼の生き様は、より人間らしく、そして豪傑なものだったのです。