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古書 浦上玉堂

浦上玉堂

江戸時代後期の南画家、雪舟を超える天才、浦上玉堂。昭和初期にドイツの世界的建築家ブルーノ・タウトが来日した際、浦上玉堂の絵を見て「これこそ世界的に有名なゴッホの絵に匹敵する近代日本の最高の画家」と絶賛した浦上玉堂の絵は、今や本物であれば、数千万円、あるいは数億単位の値がつくほどで、そのいくつかの作品は、国宝指定されています。浦上玉堂は、1745年岡山藩の支藩、鴨方池田藩士の浦上兵右衛門の二男として生まれました。七才の時、父を失くし家督を継いだ後、十六才で四代政香の御用詰、二十三才で御武具奉行、御共頭、そして新知九十石を受け、大目付にまで昇進しましたが、四十三才のときには罷免され閑職につきました。これ以降、重用されることはありませんでした。学問においては、初め儒教を学び、御用詰の時には朱子学を修めましたが、のちには古学や陽明学にも接近しました。そんな中、十代の頃から七絃琴を学び、多紀藍渓につき、琴は玉堂のもっとも愛するところでありました。五十才のころ二人の子供、春琴、秋琴を伴い但馬城崎に赴きそのまま脱藩、諸国を放浪し、晩年は京に住みました。玉堂は脱藩後、友人や好事家を招き、絵を描き、詩を作り、琴を弾き、会津、水戸、高山、金沢、堺、熊本などを訪れ芸術的天分にみがきをかけました。玉堂の画は主に独学であり、気韻と高潔な山水画の極意を極めた作品を次々に世の中に出しました。中でも、冬の山中を絶妙な墨の調和と繊細な筆運びで、憂愁を込めて書き出した「東雲篩雪図」や、秋の明るく澄んだ山中を、微妙な色彩を加えることで表現した「山紅於染図」、さらに「煙霞帖」「鼓琴余事帖」など、今後の行き先に大きな希望を持てない混乱の続く江戸時代後期に、揺れ動く自らの心象を鋭い詩的な感覚を以って描きあげた玉堂の作品は、今後さらに高い評価を得て、世の中の人々の心の中に生き続けるでしょう。それは、芭蕉のように、あるいは西行のように。骨董買取・浦上玉堂の古書は眠っていませんか?