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古書 西園寺公望

西園寺公望

世界之日本という雑誌に執筆していた随筆がまとめられた「陶庵随筆」など、様々な著書を世に送り出した日本の公家であり、政治家の骨董買取・西園寺公望。第2次伊藤内閣の頃、文部大臣として初入閣を果たし外務大臣を兼任。伊藤博文の病気療養中の時など、内閣総理大臣臨時代理などを勤め上げた大人物です。 そんな西園寺公望の雅号は、陶庵と不読、竹軒などとなります。西園寺公望は、1849年に京都の清華家の一つ徳大寺家の次男として、この世に生を受けます。僅か5歳という年齢の時に、孝明天皇の侍従に任命されたことから、13歳の頃に近習として宮内に出仕をします。その後、戊辰戦争には山陰道鎮撫総督として任命されますが、徳川譜代である諸藩と一戦も交えずに、恭順、京都へ凱旋したことが知られています。 世界を見ることでより豊かな政治を行うべきと考えた西園寺公望は、木戸孝充にフランス留学を相談しています。大村益次郎を紹介されており、その後今一度アドバイスを大村益次郎に貰おうと京都に凱旋しますが、大村が刺客に襲われることとなります。 西園寺自体は、たまたま友人とおり大村とであっていなかったことで、難を逃れたカタチとなりました。結果的に、1871年には、フランスのソルボンヌ大学への留学を果たすこととなり、法律を学びます。帰国後は、明治法律学校の設立に協力をしたり、「東洋自由新聞」を創刊し、自由主義を訴える活動を続けて行きます。1882年には、伊藤博文に認められることとなり、政界入りを果たします。 1885年には、特命全権公使としてオーストリアやベルギー、ドイツなどに駐在しており、大隈重信の下で日々従事していきます。後には、桂太郎と交互というカタチで、2度内閣総理大臣に就任しています。大勲位菊花大綬章を受勲の受章というだけでなく、帝国経済顧問に就任するなど数々の功績を残していきました。 鉄道国有化であったり、第3次日韓協約など現在の日本における重要な法案を通しました。古書買取に関しても、西園寺公望には高価な価格がつけられます。日本を動かした重要人物である西園寺公望。彼の存在こそ、非常に大切で大きなものだったに違い無いのです。