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「小堀流[九世] 小堀正和 宗本」
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小堀流[九世] 小堀正和 宗本
小堀流九世宗本は、八世宗中の実子です。父宗中が流浪の身にある最中に生まれ、孤篷庵で育ちます。茶の湯は父宗中に学び、宗中とともに道具の目録である『過眼録』の編纂、古文書の整理などを行い、遠州の茶道を後世に託しました。
小堀家は能書家を多く輩出していますが、宗本もその例に漏れず、遺物から大変な能書家であったことが確認されています。その書風は父宗中の独特の書を学んだ後に、最終的には遠州のものにもっとも近づいています。そのあまりの出来栄えは、遠州の真跡との区別がつかないほどのものあるそうで、「以宗甫筆宗本書之」と書いてあることでかろうじて判別できると言われています。茶の湯の腕も確かなものがあり、その意味で遠州にもっとも近づいた宗匠であったのかもしれません。また、絵画は狩野派に学んでおり、その腕前も確かであったと伝わっています。
命日は始祖遠州と同じ2月6日でした。遠州と見紛うほどの書を為したが故の偶然であったのか、いずれにしても奇妙な符号です。 ちなみに弟に正安がおり、こちらは大和遠州流の権十郎篷雪家に養子入りしています。権十郎篷雪家は、遠州の弟、正伊の血筋で近江国浅井郡に所領を有し、代を重ねています。初代正伊は浅井姓を名乗り、茶道具はもとより書、絵画にも優れた人物でした。篷雪はこの正伊の号です。この権十郎篷雪家を継いだ正安も茶道、絵画、書に優れた手を残しています。特に絵は狩野晴川院に学び、書は独特の書風を築いた篷雪風をよく学んでいます。自画に賛を添えた作のほか、父宗中、兄宗本と三人による合作も残されています。
小堀家は能書家を多く輩出していますが、宗本もその例に漏れず、遺物から大変な能書家であったことが確認されています。その書風は父宗中の独特の書を学んだ後に、最終的には遠州のものにもっとも近づいています。そのあまりの出来栄えは、遠州の真跡との区別がつかないほどのものあるそうで、「以宗甫筆宗本書之」と書いてあることでかろうじて判別できると言われています。茶の湯の腕も確かなものがあり、その意味で遠州にもっとも近づいた宗匠であったのかもしれません。また、絵画は狩野派に学んでおり、その腕前も確かであったと伝わっています。
書、絵画にも優れた人物 小堀正和
江戸時代末期の激動の時代の中で、父宗中とともに遠州の教えをよく守りましたが、幕臣として徳川慶喜公に小姓として仕える重職にあってその心労も祟ったのか、宗中に先んじること3年、1864年に病で逝去しています。明治維新が成る4年前のことで、激動の時代は子の宗有に託されることになりました。命日は始祖遠州と同じ2月6日でした。遠州と見紛うほどの書を為したが故の偶然であったのか、いずれにしても奇妙な符号です。 ちなみに弟に正安がおり、こちらは大和遠州流の権十郎篷雪家に養子入りしています。権十郎篷雪家は、遠州の弟、正伊の血筋で近江国浅井郡に所領を有し、代を重ねています。初代正伊は浅井姓を名乗り、茶道具はもとより書、絵画にも優れた人物でした。篷雪はこの正伊の号です。この権十郎篷雪家を継いだ正安も茶道、絵画、書に優れた手を残しています。特に絵は狩野晴川院に学び、書は独特の書風を築いた篷雪風をよく学んでいます。自画に賛を添えた作のほか、父宗中、兄宗本と三人による合作も残されています。