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「岸田劉生」
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岸田劉生

岸田劉生 道路と土手と塀

岸田劉生は大正から昭和初期にかけて活躍した洋画家です。岸田劉生の名前を知らない方でも、代表作の1つである『麗子像』を見れば中学、高校の美術の教科書を思い出すでしょう。伝統的な日本の画家とは作風がやや異なり、粗雑と洗練が同居する不思議な印象を持っています。あくまでも写実的に描写しつつも、鋭い感受性で対象をえぐる点はセザンヌなどの西洋画家に近いものを感じさせます。 岸田劉生は当時有名であったジャーナリストの岸田吟香の子として1891年に生まれ、1908年に東京の白馬会葵橋洋画研究所に入り、洋画の基礎を学びます。この頃、文芸雑誌『白樺』で有名な武者小路実篤、志賀直哉らの文化人と交流を持ち始め、徐々に作風が変化し始めました。当時の文芸界はロシアやドイツなどの実存主義文学から大きな力を得ており、伝統的な日本の文学から新しい一歩を踏み出そうとしている最中でした。当時の岸田劉生もそうした熱気に当てられ、徐々にセザンヌやデューラーなどのポスト印象派、バロックなどの西洋画家から影響を受けます。その後、1915年から20年代にかけて、岸田の人生の中で最も旺盛な創作活動が続きました。『道路と土手と塀』、『麗子像』など次々と作品を制作し、中でも『麗子像』は岸田の最高傑作と言われ、1971年に重要文化財に指定されました。しかし、岸田が26歳の1917年、体調不良のために診察に訪れた病院で結核であると疑われます。結果的には結核は誤診であったと言われていますが、不規則な生活と神経質な気質が相まって、決して心身ともに健康とは言いがたい生活を送っていました。その後、滞在していた山口県で尿毒症のため、38歳の若さでこの世を去ります。2012年には行方不明となっていた作品『黒き土の上に立てる女』がおよそ半世紀ぶりに発見され、話題を呼びました。岸田劉生の作品は時代を象徴するクラシックであるだけでなく、現在でもどこか新しさを感じさせる不思議な画家です。