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「掛軸 伊藤若冲」
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掛軸 伊藤若冲

伊藤若冲

掛軸画家 伊藤若冲は1716年に生まれた、画家です。奇想の画家として有名で、その想像力で描かれる写実を組み合わせた絵画は、現在でも高い評価を受け続けています。伊藤若冲は、錦小路にある、青物問屋の長男としてこの世に生を受けています。非常に自然が豊かな場所であるため、その頃の群像は、後の伊藤若冲の作品に色濃く現れることとなります。この伊藤若冲という男は、とにかく絵を書く事だけを求め続けており、何と酒に女など、そのような事には脇目も振らず、一心不乱に絵画に没頭していくような性格だったと言います。早くに父を亡くした伊藤若冲は、家業を継ぐ事になっていますが、絵画師としての人生に諦めをつけることが出来ず、30歳を超えてから本格的な絵画の修練を行うようになりました。様々なものをから、初めは学ぼうと努力をしたようですが、狩野派を勉強中「狩野派から学ぶ限り狩野派と異なる自分の画法を築けない」とした独自の考えを立案、結果的に画塾などを利用することへ疑問を感じ、全て独学で世界を切り開くことになります。もともと、凝り性であった伊藤若冲だけに、様々な寺院での絵画の模写を始めたと同時に、出家同然の身なり、肉を断ち、人生の全てを絵画に捧げて行きます。結果的に、この2重生活には無理があり、39歳の時にはついに丹波の山奥へ隠居していってしまいました。そして、相当な量のスケッチや作品をを生み出し続け、徐々に美術界でも名を知らしめる存在となっていきます。そして、伊藤若冲の代表作として世に知れる濃彩花鳥画『動植綵絵』に着手する。完成まで10年を要して完成された、このシリーズは日本美術界における最高峰の傑作として、未だに語り継がれることとなります。火事や様々な災難に見舞われながらも、自らの芸術のみの為に人生を費やし、数多くの秀作を制作。現代で見ても、鮮やかで斬新な色使いなどは天才の成せる技とため息がこぼれます。日本画の極地を見たであろう、伊藤若冲。彼の作り上げた世界は日本が誇る宝となっているのです。