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掛軸 西郷孤月
若い頃より秀でた才能を見初められていながら、夭折てしまい大きな名を残せぬままだった天涯孤独の天才掛軸画家、西郷孤月。日本美術院の四天王とまで言われた彼の芸術人生は、波乱のものでした。西郷孤月は1873年に長野県の松本市に生を受けます。東京高等師範学校附属小学校卒業後は、本郷新花町私立独逸語学校。卒業後は将来のことを考え語学を学ぶことを決意したことで、神田錦町私立東京英語学校に入学をしています。そして、その同じ年ではありますが、小石川餌差町の私立知神学校に入学してからは絵画への道に手を染め始めます。狩野友信に師事をし、日本画の基礎をそこで学んで行くことになったのです。実は、語学学校で同窓であったのが横山大観や、下村観山。後の日本画の大家と呼ばれる天才達と、東京美術学校に入学をします。この頃、第一期生として様々な授業を受けて行っています。この頃から才能を徐々に発揮していった西郷孤月は、東京美術学校の卒業後に卒業制作として描いた作品「俊寛鬼界ヶ島ニ決別ノ図」が、何と宮内庁の買上となります。その後で研究科に進んだ西郷孤月は、日清戦争の模様を写した、朝鮮風俗」や、古典学習にも力を入れて行きます。そして、卒業後には助教授として活躍をし、日本絵画協会共進会で活躍をしていきます。その淡く、切ないタッチで描かれる独特の作品は、当時でも多くの人々の心を惹き付けて行きます。そして、日本美術院の設立に尽力を重ね、評議員に。雅邦門下の四天王とまで呼ばれ、岡倉天心の媒酌の元結婚なども果たします。しかし、その後に雅邦と激突して以降は、酒と遊蕩を繰り返してしまいます。結果、旧友などの助けなどもあったのですが、以前の天才西郷孤月の画力は落ち、結果的に台北で発病してしまい、自宅で息を引き取ります。そんな、果無い画家人生を送った西郷孤月の作品は、掛軸買取でも非常に人気が高く、高価な価格で取引されています。大家となる寸前で、深い闇に落ちていった西郷孤月。しかし、彼こそ人間の美しさ、醜さを体現してきた、本物の芸術家なのかもしれません。
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