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日本画 池上秀畝

池上秀畝

 池上秀畝(いけがみしゅうほ)は1874年(明治7年)に長野県伊那市高遠町に小間物問屋の次男として生まれた日本画家です。祖父の休柳、父の秀花はともにもっぱら画作三昧の暮らしぶりで、秀畝はその影響を受けて幼い頃から筆をたしなみ、問屋の手伝いをしながら暇を見つけては自然を写生していました。遺されたスケッチを見ると驚くほど写実的で精巧に描かれ、天賦の才を偲ばせています。
 1889年(明治22年)には16歳にして荒木寛畝の元へ弟子入りし、雅号を父と師の名から1文字ずつ採り秀畝としました。1905年(明治38年)に同門の大岡緑畝女子と結婚しましたが、生計の基は女子学園の教員としてのものでした。以来数多くの出展を重ねながら、1916年(大正5年)から3年連続で文展(文部省美術展覧会、現・日本美術展覧会=日展)にて特賞を獲るなどその才を世に知らしめました。その作風は師の荒木寛畝や同門の荒木十畝に比べるとはるかに写実的であるのが特徴です。いわゆる現代日本画の先駆者と言ってもよいでしょう。
 荒木十畝の「梅に烏」と池上秀畝の「五位鷺」を比べて見てみましょう。いずれも花鳥画ですが十畝のそれは余白の美にこだわった旧来の描法であるのに対して、秀畝が描いた2羽の鷺は極めて写実的です。また止まり木の描法を見ても十畝は旧来の四条派のお手本通りの筆使いでサラリと描き流しているが、秀畝は洋画のように丹念に描き込まれていて、そのあまりの相違は目を見張らせるものがあります。秀畝のそれは、あえて例えるなら「鷺の肖像画」とでも言えば良いでしょうか、その写実力の精度の高さには唸らされるばかりです。
 最近になって晩年に描かれた屏風絵が発見されました。「初雪」と題されたこの二対の屏風は「左右で違う季節と景色を描く」という屏風絵の伝統を拒否して描かれていて、まさに斬新的です。二対ともほぼ白一色の雪景色ですが、微妙な濃淡をみごとに使い分けていて見る者を決して飽きさせません。唯一の色をほどこされた鳥達はみごとに写実的に描かれており、秀畝の画風を代表する力作であります。