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日本画 浦田正夫
浦田正夫(うらたまさお)は1910年(明治43年)に熊本県山鹿市で生まれた日本画家である。 東京美術学校(現・東京芸術大学の美術学部)の日本画科を卒業、松岡 映丘(まつおか えいきゅう)に師事した。 1973年には「蔓」が日展文部大臣賞を、5年後には「松」が芸術院賞を受賞している。 第二次大戦の終戦後の8年間を茨城県で過ごしており、その作品の多くは茨城県近代美術館に寄贈されている。 昭和25年には「栄村十景」という広報誌にラフスケッチふうの表紙絵を描いている。 栄村は現・つくば市にあたるところで、戦後の民主化教育や文化育成に力を注いだのが今日の筑波研究学園都市(つくばけんきゅうがくえんとし)が誕生する土台となっている。 当時は地元で教鞭をふるうなど文化教育に深くかかわった画家である。 浦田正夫の作風はどちらかと言えば水彩画のような柔らかな表情と色彩が多く、一見すると無造作に描きあげたような印象を持ってしまうのだが、実際には緻密で丹念な作画工程を経て仕上げたものばかりである。 その作画の工程を見るには茨城県近代美術館で展覧された「浦田正夫の世界展」で詳細に見ることが出来る。 完成画で18点、そのスケッチや下絵の制作の記録が200点ほど展示されており、使用した顔料まで事細かく遺されている。 その工程を辿ってみると、まずスケッチから色づけのためのラフ画へと進み、構図を決めてからはそれよりもやや大きな紙に縦横に数字を書いて座標を示した格子状のなかに絵を描き込んでいる。 そして完成サイズの下絵にはまず格子の座標を設定して完璧な下絵を仕上げてから作品を完成させるのだが、その緻密さと丁寧さには頭が下がる思いである。 61歳の頃の作品「砂丘」を見ていると、画面の三分の二を占める砂丘とぽつねんと佇む馬とそれを追いかける少年が小さく描かれているのだが、単純そのものの画面とは裏腹に浦田正夫ならではの緻密に追求された作品であることが理解できるであろう。
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