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日本画 渡辺華山
江戸時代後期の高名な武士であり、画家。そして、三河国田原藩であった人物が日本画買取 渡辺崋山です。様々な仕事を成し遂げた、大人物であり、様々な秀作を残していることでも有名です。さて、そんな渡辺崋山は1793年に江戸麹町田原藩邸で生まれます。父が、留守居添役仮取次という役職であり、実収入はわずか12石足という貧しい家系で幼少時代を過ごしていました。8歳で若君のお伽役となった渡辺崋山は、後の登の名を承ることとなっていきます。とにかく、貧しかった渡辺崋山であったため、この頃に絵の内職をして生計を守っていたというように伝えられています。画家としてだけでなく、学者としても日々鍛錬を重ねた渡辺華山は、徂徠学派の儒学者・鷹見星皐に学びを乞いていきます。その後も、佐藤一斎、松崎慊堂などに学びを続け、詩文や和歌、俳諧をたしなみ、江戸で藩邸学問所の総世話役とまでになったのです。そんな渡辺崋山が、画家として本格活動を始めたのは26歳の頃です。白川芝山や金子金陵、谷文晁という画壇に絵画を学び、最初は家系を助けるためのものでしたが、その秀逸な作品と才能で徐々に名声を高めていきます。その類い稀なるセンスは、他の画家と一線を超えた気品に満ちあふれている、美しいものばかりです。西洋画的な立体感であったり遠近法など、斬新な作風を東洋画に取り入れたことは、後の日本美術界においても、非常に高い功績であるというように伝えられています。「鷹見泉石像」においては、国宝として現在でも大切に保管されているほど、画家としても素晴らしい功績を残し続けていったのです。しかし、どこまでも貧しさと戦った渡辺華山は、蟄居中の崋山一家の貧困を助けていくために、門人福田半香が、渡辺華山の作品を売りに出し始めます。そして、49歳という若さでありながら、「不忠不孝渡邉登」と大書を残し、結果遺書を長男立へ当て「餓死るとも二君に仕ふべからず」と記し、この世を去ったのです。 掛軸買取に関しても、渡辺華山の作品は非常に高価買取になります。数々の重要文化財、国宝を生み出した天才的な才能を持った画家、渡辺華山。生活や様々な軋轢の中、戦い続け、描き続けた、武士の心を持った画家だったのです。
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