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「楽吉左衛門(らくきちざえもん)」
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楽吉左衛門(らくきちざえもん)

楽吉左衛門

俗に「詫茶」と呼ばれる茶の湯では「一楽、二萩、三唐津」(楽焼、萩焼、唐津焼)の三つが格段に評価が高い。その筆頭、「楽」家の「吉左衛門」は桃山時代から400年余、15代にわたって続く、京都の陶師一家で代々襲名される名前である(現在の15代当主は1949年生まれの62歳)。なお、この名は当主である限りの名で、隠居すると「入」のついた号になり、それがそのまま諡(おくりな)となる場合が多い。

美しくなければ、面白くなければ意味がない?
美しくないものは全て醜いのだろうか?

ときは、豊臣秀吉が天下を統一し、千利休が茶の湯を興した天正年間(1500年代後半)にさかのぼる。楽家の初代長次郎は腕の良い陶工であった朝鮮人の父と、利休と親しい関係にあった田中宗慶を祖父にもつ母の間に生まれた。恵まれた資質は父の持つ才能を受け継いだものだろうが、長次郎の作風に多大な影響を与えたのはやはり利休であっただろう。もともと瓦職人だった長次郎が利休に見出され、聚楽第(じゅらくだい)内で利休好みの茶碗を焼いたものが楽焼の原型である。 美しくなければ、面白くなければ意味がない?美しくないものは全て醜いのだろうか? 長次郎は利休の茶道精神に応えるべき「草の小座敷」にふさわしい陶器を追求した。 「聚楽焼き(じゅらくやき)」とも呼ばれた楽焼は、利休の趣向を反映した、渋みと重厚さを持ちながら、ぬくもり感と無骨ささえ感じられるのは、ろくろを使わず「手びねり」で成形するためである。 楽焼は「一碗一窯」というこだわりで屋内の小さな窯で比較的低温で焼く軟質陶器である。熱の伝わりが遅く、手を湯の熱さから守るという合理性と、同時に冷めにくいという利点は茶道にうってつけだった。 華美な装飾はいっさいなく、こんもりとした筒型に黒、赤、白などの釉がほどこされた茶碗は、簡素さと朴訥さの中に深い味わいを秘めている。 「楽」の屋号が世に出たのは、秀吉が京都に建てた邸宅「聚楽第」の一字「楽」の印を与えられたことによるもので、長次郎没後であった。 楽焼は厳密には京都楽家を「本窯」といい、一族から派生し同じ楽焼の作陶法の「玉水焼」「大樋焼」などは「脇窯」と呼ばれる。 400年にわたり、絶えることなく後世の人々をも魅了してやまない器づくりをひたすらに守ってきた、それぞれの時代の「楽吉左衛門」たち。そして現代も、未来へもその伝統と精神は受け継がれるだろう。