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「浅井忠(あさいちゅう)」
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浅井忠(あさいちゅう)
浅井忠は、1856年江戸時代は安政3年に生まれた洋画家で、日本近代洋画の先駆者です。 佐倉藩の藩士の長男として生まれましたが、幼い頃から絵の才能の一端は現れており、佐倉にいた頃は日本画を学んでいました。 17歳のときに上京して洋画を学ぶようになり、イタリアの画家アントニオ・フォンタネージから薫陶を受けました。 フォンタネージはバビルゾン派の影響を受けた画家で、浅井もその影響を受けており、「日本のミレー」と呼ばれることもあります。
パリにて詩情溢れる風景画を数多く作成
西洋美術への風当たりが強い時代も洋画研究を続け、洋画排斥運動が盛んだった時代に、日本初の本格的洋画団体として「明治美術会」を結成しました。 明治美術会展に出展された絵画「春畝」や「収穫」は浅井の代表作で、日本の普通の田舎の風景が重厚なタッチで描かれています。 それらの作品はバビルゾン派の影響を受けてはいますが、確かに浅井独自の作風が確立されています。 やがて洋画排斥運動は収まり、1898年に浅井は東京美術学校の教授に任命され、1900年には文部省から洋画研究のため2年間のフランス留学を命じられました。フランス留学のときに、浅井は印象派の絵画に影響を受け、アール・ヌーボーに感銘を受けました。 また、パリの郊外に滞在して詩情溢れる風景画を数多く作成しており、この時期の作品として「グレーの秋」があります。教育者としても立派な人物だった
1902年に帰国した浅井は、1907年に亡くなるまで、京都で過ごしています。 京都高等工芸学校に図案科の教授として就任したのです。 フランス留学時に見たアール・ヌーボーから図案(デザイン)の重要性を感じていた浅井は、熱心に後進の育成に務めました。 また、京都に移住した浅井は、関西の洋画の発展に尽力しながらも、自らも図案や工芸品の作成に精力的に取り組みました。梅原龍三郎、安井曾太郎など後に日本を代表する作家を輩出しました。浅井忠は、素晴らしい画家でありながら、教育者としても立派な人物だったと言えます。