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「薮内家[三代]_剣翁紹智_雲脚亭」
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薮内家[三代]_剣翁紹智_雲脚亭
薮内流三代、剣翁をイメージで捉えると、「老舗旅館の若旦那」。いいすぎかもしれませんが、通で軽やかで、趣味人であったようです。その点、薮内流歴代とは少々方向性が違う宗匠であったと言えます。
剣翁の若かりし頃のエピソードにこんな話があります。当時の京では蹴鞠が大流行していました。蹴鞠といっても公家や御所の作法とは異なった、町人向けの手軽な蹴鞠です。この蹴鞠に剣翁もすっかりはまってしまい、友人とともに清水寺まで鞠を蹴って歩き続け、その歩数「三千七百三十六歩」と記録を残しています。また、あるときはこともあろうか清水寺で蹴鞠の会を催し、町奉行に引っ立てられ、西本願寺からのとりなしで事なきを得ています。このとりなしは蹴鞠仲間には適用されなかったらしく、友人の一人は番所に留め置かれたとの記録も残っています。その後もまったく懲りず、13人ほどで京の町中を朝から晩まで9869歩も蹴鞠を続けるということもしています。これはさすがに京都所司代からとがめられ、一時京都にいられなくなってしまったそうです。いくら若年のころとはいえ、質実剛健を旨とする薮内流の若宗匠のやることとは思えない思い切りの良さです。
こうした軽妙な通人ぶりは、道具に与える銘にも出ています。わずかに残る自作道具に茶杓、花入などがありますが、その銘が「孫の手」「面影」。少し奇をてらったような銘の道具を用い、しかし本人は至って大真面目な顔で接待するというコミカルな情景が眼に浮かぶようです。また、各地の大名への出仕は、雲脚亭の息子たちも同様で、この頃から鍋島藩への出仕も始まっています。
剣翁の若かりし頃のエピソードにこんな話があります。当時の京では蹴鞠が大流行していました。蹴鞠といっても公家や御所の作法とは異なった、町人向けの手軽な蹴鞠です。この蹴鞠に剣翁もすっかりはまってしまい、友人とともに清水寺まで鞠を蹴って歩き続け、その歩数「三千七百三十六歩」と記録を残しています。また、あるときはこともあろうか清水寺で蹴鞠の会を催し、町奉行に引っ立てられ、西本願寺からのとりなしで事なきを得ています。このとりなしは蹴鞠仲間には適用されなかったらしく、友人の一人は番所に留め置かれたとの記録も残っています。その後もまったく懲りず、13人ほどで京の町中を朝から晩まで9869歩も蹴鞠を続けるということもしています。これはさすがに京都所司代からとがめられ、一時京都にいられなくなってしまったそうです。いくら若年のころとはいえ、質実剛健を旨とする薮内流の若宗匠のやることとは思えない思い切りの良さです。
遊び心満載の雲脚亭
このように若い頃は趣味に没頭してばかりでしたが、54歳で代を継いでからはその道統を守り続けました。しかし、その通人ぶりは変わらずで、茶の湯ばかりでなく、書画や香などにも広く通じました。特に香は、西本願寺に良香を献じ、銘を与えられた旨が記された書簡も残されています。こうした軽妙な通人ぶりは、道具に与える銘にも出ています。わずかに残る自作道具に茶杓、花入などがありますが、その銘が「孫の手」「面影」。少し奇をてらったような銘の道具を用い、しかし本人は至って大真面目な顔で接待するというコミカルな情景が眼に浮かぶようです。また、各地の大名への出仕は、雲脚亭の息子たちも同様で、この頃から鍋島藩への出仕も始まっています。