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「佐藤太清」
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佐藤太清

佐藤太清 風騒

佐藤太清は京都府福知山出身の日本画家です。佐藤太清は花鳥画・風景画をミックスさせた独自の画法「花鳥風景画」を生み出したことで良く知られています。両親を早くに亡くし、その寂しさを埋めるように絵を描き始めた太晴は画家を志して18歳のときに上京、風景画を得意としていた児玉希望のもとに師事します。少年時代を過ごした福知山の雄大な自然と、児玉希望への師事がこの後続いていく彼の画家人生を支える下敷きとなりました。新文展で「かすみ網」が初入選となり、デビュー作となります。画壇デビューは30歳と割と遅いものでしたが、それ以降は日展においての中心的な画家として活躍していきました。このころの作品は写生を中心とした非常にストレートな画風が主でありました。若い頃はストレートなアプローチで絵に対していた太晴でしたが、40代以降は近代西洋画に迎合する世相も取り入れつつ、実験的な方向に走って行きます。試行錯誤を繰り返しながら自分のスタイルを追求していった彼は50代で発表した「風騒」にて世間の絶賛を受けました。彼はこれに満足することなく、歳を重ねるごとにその作風は円熟味を増していきました。そして「花鳥風景画」を確立するまでになり、戦後の画壇を支える大御所となりました。佐藤太清の作品は「静」を表現しているにも関わらず、大変なエネルギーに溢れたうねりをも思い起こさせる力のある作品でした。代表作の一つでもある「朝霧」にも見られるように、凛と立つ鷺と混ざり合う風景の放つ荘厳な佇まいは、花鳥風景画として彼が確立した画法・構図であるにも関わらず既に様式美としての凄味を持っているように感じます。戦後の日本画壇の重鎮として活躍した太晴ですが、晩年には「福知山市佐藤太清賞公募美術展」を自身の故郷である福知山市とともに創設し、後を担う画家たちの育成に努めることでその生涯を画壇に捧げたことでも有名です。少年時代にその感性を育んだ故郷とともに後進の育成に努めた晩年の太晴の生きざまは、彼の作品のように洗練された「静」のエネルギーに満ちたものであったことが窺えます。