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「日本画 小茂田青樹」
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日本画 小茂田青樹
日本画・小茂田 青樹(おもだ せいじゅ)は1891年(明治24年)埼玉県川越町(現・川越市)に呉服商を営む小島徳右衛門の次男として生まれた。
5歳の時に叔父の養子になり小茂田姓を名乗るようになった。17歳で浅草にあった安雅堂画塾を訪ね松本楓湖の門下生となったのだが、その同じ日に終生のライバルとなった速水御舟も入門したことは有名な話である。画壇デビューは1913年(大正2年)、第13回巽画会展に出品した作品であるが、これが原 富太郎(横浜本牧に三溪園を造った富豪)の目に留まり、以後経済的な支援を受けることとなった。初入選を果たしたのは1915年の再興院展に出品した「小泉夜雨」であるが、この頃から結核を患うようになり終生にわたって病魔との闘いを余儀なくされたにもかかわらず、第5回再興院展で「菜園」が入選、さらに第8回再興院展に出品した「出雲江角港」が横山大観に認められることなり日本美術院の同人となるなど、画業に対する意気込みは衰えることがなかった。
洋画の持つ写実性に加えて日本画の伝統的装飾性を施すことにこだわった
青樹の生涯にわたる課題は絵画の持つ「写実性」と「装飾性」とをいかに融合させるかであった。同年代の岸田劉生の影響を受けて、洋画の持つ写実性に加えて日本画の伝統的装飾性を施すことにこだわった。1930年(昭和5年)の「春の夜」はその集大成ともいえる作風で、紅梅の上の梟もその下を鼠を咥えて歩く猫も写実的に描かれているのだが、縦長の画面全体には日本画らしい華やかさがあるうえにユーモアさえ感じさせてくれる。 晩年の作品となった「虫魚画巻」のアザミの花に網を張る女郎蜘蛛の画では、背景の暗闇に白く浮き立たせた蜘蛛の糸と、その下に群れて咲いているドクダミの白い花がアザミの橙色を際立たせていてみごとに装飾的である。昆虫をテーマに描くことすら珍しい試みなのだが、ライバルの速水御舟もまた「昆虫二題」と言う作品で電灯の明かりに群がる蛾を描いている。青樹も「虫魚画巻」のなかで月明かりの窓ガラスに群がる蛾を描いている。だまって並べて見るならば、同一の作者だと勘違いしてしまうほど似た作風である。悲しいかな二人とも四十を過ぎて間もなく示し合わせたように永眠したのは、奇しき縁としか言いようがない。八光堂では日本画を高価買取中です。