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「河鍋暁斎」
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河鍋暁斎
自らを画鬼と称した浮世絵師、河鍋暁斎。河鍋暁斎は、天保2年に下総古河、現在の茨城県に生を受けました。彼が始めて絵を描くことになったのは、幼い頃に母と共に出かけた館林の親類である田口家でのことでした。河鍋暁斎は、ここで初めてカエルの姿を写生したのです。ここから、彼の貪欲な絵師としての人生が始まりました。河鍋暁斎の写生の歴史はその後、どんどん異常と呼べるものになっていき、神田川で拾った生首を写生し周囲を驚かせたり、火事現場を写生したり、さらには珍しい帯を描くため、女中を追いかけて「女の尻を追いかけた」と誤解され、坪山家を離縁されてしまいました。この最後のエピソードは、帯を描こうとしただけのことと最初は感じましたが、自らを画鬼と称した河鍋暁斎を知っていくごとに、彼の「描きたい!」と感じたものにはわき目も振らずに向かい、それだけに囚われてしまう一種の狂気のようなものに感じました。絵を描くことにこれほど貪欲に取り組んだ絵師は、恐らく河鍋暁斎に並ぶ者はいないのではないでしょうか。 河鍋暁斎は、まず歌川国芳に入門しました。その後、父により師を歌川国芳から狩野派であった前村洞和へと変えました。河鍋暁斎の浮世絵は狩野派の特徴を多分に含んでいて、独特な浮世絵の描き方をしています。河鍋暁斎は当時の社会を皮肉った風刺画などの作品を多く描き、投獄されたこともあったという壮絶な経験をしている浮世絵師であり、社会に対してかなり挑戦的な姿勢であったと言えます。 河鍋暁斎の作品に「幽霊図」というものがあります。これは、その名の通り幽霊を描いた作品ですが、生首を含め数々の写生をし多くの流派の画法を貪欲に吸収していった河鍋暁斎が描いた幽霊は、枝とわかっていても怨念を感じるような、恐ろしい感覚を感じずにはいられません。自らを画鬼と称するほど絵を描くことに没頭した河鍋暁斎は他にも恐ろしい地獄の風景を描いた地獄絵図を書き上げました。狂気さえ感じるこの世のものではない場所を描いたのは、もしかしたら河鍋暁斎がこの世のものを書くことに飽きてしまったからかもしれません。それか、数々の写生を繰り返した彼の目は、本来見えるはずのない地獄の風景を捉えていたのかもしれません。 描くということに取り付かれた画鬼、河鍋暁斎。貪欲に描くという狂気の中で生まれたと言ってもいい天才が描いた作品達は、常に圧倒的な迫力、時に寒気を誘う恐ろしさで現代に至るまで人々の目を楽しませてきました。河鍋暁斎の作品には、見た人々を狂気の中に誘い込み、魅了するような不思議な力があるのかもしれません。骨董買取・河鍋暁斎の古書を買取致します。