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「糸園和三郎」
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糸園和三郎
洋画家・糸園和三郎は昭和から平成にかけて活躍した画家です。実家は大分県で呉服商を営んでおり、三男として生まれています。シュルレアリスムの影響を受けたその作品の数々は、繊細ながらも力強く、見る者の心の奥に訴えかけるような不思議な雰囲気を持っています。その糸園和三郎の代表作で、外すことのできない作品とすれば1970年に発表された「ひとり」ではないでしょうか。一人の男性が雲の中に佇むその姿は、何か陰鬱な空気感を醸し出していますが、どことなく優しいタッチには独特の温かみをもっており、一度見たら頭から離れられない作品です。この中心にいる男性は一体何を考えているのか…。それは見た人それぞれの価値観で決まるかもしれません。
糸園和三郎の画家人生の始まりは1927年に始まりました。画家を目指し上京した糸園和三郎は、前田寛治写実研究所に入り、1930年には春陽会展にて初入選を果たしています。そして、その翌年には独立展にも出品しており、名前は徐々に業界で知られるようになっていきました。糸園和三郎はこの頃から自分の方向性を見出し始め、事実を自らの世界観で包み込む方法としてのシュルレアリスムに没頭していきます。「黒い水」「黄色い水」」など独特の作品を多数描き続け、日本におけるシュルレアリスム画家を牽引していく実力もつけていきます。 糸園和三郎は1939年に、福沢一郎や寺田政明達と美術文化協会に参加しており、その後1943年に松本竣介や鶴岡政男などと共に新人画会を結成。様々な所属を経た後、無所属になり日大の教授に就任しています。1979年に発表された「ブランコの老人」は独創的なタッチで描かれており、一度目にするとその世界に入り込み、抜け出せなくなるような深い味わいを感じることができます。朝焼けまたは夕暮れ、そしてブランコに乗る老人の心の中の闇なのか…。みる角度により、様々な受け取り方があり我々が試されているような気にすらなります。とはいえ、挑戦的ではなく優しい欝感で訴えかける印象もあります。糸園和三郎は1980年代以降に、右目の視力を失いかけても描き続けたといいます。まさに、美術に人生を捧げた芸術家なのです。
糸園和三郎の画家人生の始まりは1927年に始まりました。画家を目指し上京した糸園和三郎は、前田寛治写実研究所に入り、1930年には春陽会展にて初入選を果たしています。そして、その翌年には独立展にも出品しており、名前は徐々に業界で知られるようになっていきました。糸園和三郎はこの頃から自分の方向性を見出し始め、事実を自らの世界観で包み込む方法としてのシュルレアリスムに没頭していきます。「黒い水」「黄色い水」」など独特の作品を多数描き続け、日本におけるシュルレアリスム画家を牽引していく実力もつけていきます。 糸園和三郎は1939年に、福沢一郎や寺田政明達と美術文化協会に参加しており、その後1943年に松本竣介や鶴岡政男などと共に新人画会を結成。様々な所属を経た後、無所属になり日大の教授に就任しています。1979年に発表された「ブランコの老人」は独創的なタッチで描かれており、一度目にするとその世界に入り込み、抜け出せなくなるような深い味わいを感じることができます。朝焼けまたは夕暮れ、そしてブランコに乗る老人の心の中の闇なのか…。みる角度により、様々な受け取り方があり我々が試されているような気にすらなります。とはいえ、挑戦的ではなく優しい欝感で訴えかける印象もあります。糸園和三郎は1980年代以降に、右目の視力を失いかけても描き続けたといいます。まさに、美術に人生を捧げた芸術家なのです。