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「裏千家[十五代]_汎叟宗室_鵬雲斎」
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裏千家[十五代]_汎叟宗室_鵬雲斎
当代を退いた今もなお敬意を持って大宗匠の名で呼ばれるのが十五代鵬雲斎です。宗匠としての活動の歴史的意義・解釈については後代に譲るにしても、その大きく豊かな人柄で多くの人々を魅了した点は誰もが認めることでしょう。
鵬雲斎は大正12年に生まれ、戦後一時は若宗匠を名乗り、昭和39年、先代逝去に伴い宗匠を継ぎました。幼少のころは病弱でしたが、馬術を通じて壮健になり、終戦間際には海軍少尉に任官。特攻隊員として最後の出撃を待つばかりになりましたが、出撃を前にして終戦を迎え、辛くも生き残りました。同隊での生き残りは、後に俳優となった西村晃と鵬雲斎の2名のみだったそうです。
茶道は日本という国があってこそという信念のもと志願したとはいえ、戦争での苦い経験は、戦後間もないころの鵬雲斎を苦しめたそうです。それを打破したのは、堂々とした態度で進駐軍に接する父無限斎の姿でした。ティーセレモニーを経験したいという進駐軍の将校や兵士たちを屋敷に上げ、畳のうえに正座させ、無作法をしたものには、将校であろうと兵士であろうと大声で叱り付けていたそうです。その姿を見て、鵬雲斎は平和への道は文化を通じてより他ないと強く信じるようになり「一碗からピースフルネス」をモットーに掲げ、日本国内はもとより海外にも広く普及活動に努め、世界各地で認められるようになりました。
茶道は日本という国があってこそという信念のもと志願したとはいえ、戦争での苦い経験は、戦後間もないころの鵬雲斎を苦しめたそうです。それを打破したのは、堂々とした態度で進駐軍に接する父無限斎の姿でした。ティーセレモニーを経験したいという進駐軍の将校や兵士たちを屋敷に上げ、畳のうえに正座させ、無作法をしたものには、将校であろうと兵士であろうと大声で叱り付けていたそうです。その姿を見て、鵬雲斎は平和への道は文化を通じてより他ないと強く信じるようになり「一碗からピースフルネス」をモットーに掲げ、日本国内はもとより海外にも広く普及活動に努め、世界各地で認められるようになりました。
鷹揚にして善美
2002年に当代を譲り、現在は隠居の身ですが、つい先ごろまで多くのものを好み、残した作品は多岐におよんでいます。手捏ねの器は力強さにあふれ、瀬戸、大樋、備前、楽焼などの侘びた作風のものを作りますが、好み物については実に多様です。古流を踏まえながらも現代様で華やかな品が多く、言葉にすれば鷹揚にして善美とも言えましょう。今までには見られなかったほどの大胆な意匠を配することもあり、豪華絢爛とも言えるのですが、決して奇を衒ったようないやらしさがなく、伸びやかな美しさに彩られています。大宗匠と呼ばれ敬愛される鵬雲斎の人柄を感じさせるものと言えるでしょう。