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「難波田史男」
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難波田史男
難波田史男は1941年に東京都に生まれた日本の洋画家です。父に芸術家として高名な難波田龍起をもち、小学生の時分から油彩画に挑戦しいています。さらに、文学などに親しみ芸術に関する刺激を多く受けていたと言います。画家を目指して文化学院美術科に入学するものの、その教育方針に馴染むことができず、2年後には中退をしいてしまいます。しかし、芸術への愛情は衰えることはなく独学で絵画制作をとことん突き進めて行きました。難波田史男の作風に見られる特徴は強烈で鮮烈な色彩使いに、物体が浮遊しているような幻想的な雰囲気を中心において制作を続けました。中退してしまった3年後、絵画の道を改めて見つめ直すために早稲田大学大一文学部美術専攻科に入学しています。その後は数々の個展を開き、数多くの秀作を発表展示していきました。孤独に向き合う勇気と強さ、をテーマに掲げ繊細なタッチと幻想的な世界観で、自分の心の奥に眠る感情を心象風景として描いた難波田史男の作品は、独創的な抽象画が多く存在します。1961年に発表された「自己とのたたかいの日々」では、生き物の集合なのかドームなのか、それとも心の奥に巣食う何ものなのか、本人でしかわかりませんが、様々な苦しみを感じさは意図されているでしょう。現実の世界ではなく、彼の心にもうひとつある、パラレルワールドとしての何かをパレットに落とし込んでいたのではないでしょうか。さらに1972年に描かれる「小鳥の巣」は一転、とても鮮やかでヴィヴィットな色彩で構成された作品です。青、赤、緑と3原色を中心に配しながらも、小鳥だけがシンプルに描かれるポップともとれる一枚になっています。自室に籠り、クラシックを聞きながら自己との折り合いをつけて芸術と向き合っていたという難波田史男は心の孤独と常に正面から戦い続けてきたのです。先鋭美術家としての良い時期を迎える寸前、一ヶ月連絡が途絶え、遺体となって発見された難波田史男はその時、若干32歳でした。主流として美術界には残らなかったものの、その表現力の高さは人々に心に焼き付いているでしょう。天才としての人生らしい生き方であった難波田史男の事は誰も忘れる事はできないのです。