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「青山義雄」
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青山義雄

青山義雄

青山義雄は大正から平成にかけて、数多くの名作を残した洋画家です。その作品は海外での評価が非常に高く、南仏のニースにて制作に没頭している過去もあります。風景画を中心に、水彩・油絵とジャンル問わず素晴らしい作品を生涯制作し続けた芸術家として各方面から慕われています。
 青山義雄を知るための作品であれば「二人の男」は外すことはできません。神奈川県は横須賀市に生まれた青山義雄は、14歳という若さで画家を目指し1921年の27歳の時フランスに渡っています。その翌年に描かれたこの作品をサロン・ドートンヌ展に出品し、見事入選を果たしました。二人の男が座るその前には6時15分をさす時計が描き込まれており、画面内の人間と時間の狭間に感じる何ともいえないリアリティが、現実感をより強調しています。淡い色使いからは一見、彼の優しい人間味だけが受け取れますが、よく見れば強い政治的メッセージも感じることができる見事な作品なのです。この作品発表後に、青山義雄は次々と入選を果たしています。
 そして彼が32歳になる1926年、運命の出会いがあります。青山義雄が生涯の師と仰ぐ「アンリ・マティス」との出会いです。当時の青山義雄は貧しく、ニースにあるサボイ画廊に作品を委託し続けていたおり、その作品がマティスの目に止まることがキッカケだったようです。そして、出会いから3年後の1929年には、画家として成熟期を迎えつつあった青山義雄はついにパリで初の個展を開催し、マティスからの高い評価も受けます。その後も「カーニュの風景」など地中海をモチーフにした風景画を中心に、繊細で温かみのある作品を描き続けた青山義雄。
 国内でも佐分賞や第3回中村彝賞受賞など名誉ある賞を多数受賞しています。1952年に師であるマティスに呼ばれ、17年振りにフランスに渡るものの、2年後にマティスは死去。青山義雄はその時の心境を、回想録として日本の新聞社に投稿しています。その彼も42年後の102歳の時、息をひきとりました。彼の慈愛に満ちた人間性は作品を通せば手に取る様に伝わります。我々、日本人として世界に誇るべき人間であった青山義雄は数多くの人間から今も尚支持し続けられているのです。