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古書 一休宗純
骨董買取・一休宗純。人間らしい生き方を貫いた室町時代の僧
京都出身の出生は【後小松天皇の落胤】と言う皇胤説が1番有力視されている説です。千菊丸と言う幼名を持ち、乱雲子・夢閨・瞎驢等と称しました。6歳の頃、京都安国寺に入門し周建と名乗るようになります。17歳で西金寺の謙翁宗為へ弟子入りし、宗純と名を改めその後、京都大徳寺の高僧である華叟宗曇へ弟子入りし、一休の号を授かります。その後、一休宗純は各地を遍歴して修行します。一休宗純には奇行説が多く残っていて、刀身が朱鞘の大太刀を身に着けるがそれが木製の物で「鞘に納めた姿をみれば豪壮に思われるが、いざ抜いた所で木刀である。」というエピソードもあります。着飾る事に重きを置く当時の時代背景を批判したのではないかと言われています。このように、形式や規律を否定して自由奔放な言動や奇行をなしたが、それが人間らしさを残す生き方となり、一休さん等のモチーフにもなっています。この様な奇抜行動、言動をみるとその背景には中国臨済宗や唐代の僧や禅者と似たものがあります。教義をみると禅宗の風狂精神の現れではないかとされています。同時に仏教権威や形骸化への批判、仏教の風化や伝統化への警告を促すものでもありました。晩年は、大徳寺の住職になりますが、寺には住まず再興へ尽力したようです。
一休宗純と言えば数々の名言が残っていて、「世の中、起きては稼いで寝ては食って、後は死ぬ時を待つだけなり」や「釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな」等、多くの言葉を残しています。研究所や評伝も多くあり、彼に纏わる話は多く残っているのです。彼自身が残した作品としては「尊林号」という彼が飼っていた雀に対する作品「自戒集」「骸骨」等、様々なものが残っています。中でも「狂雲集」「続狂雲集」という彼の独特な世界観を出した漢詩集があり、僧でありながら女性を傍に置きそれを恥ずかしげもなく纏めたものになっています。人間らしい生き方を貫き通した一休宗純。当時ではあり得なかった、由来ある文書を火中に投げ入れたり、男色はもちろん、仏教の菩薩戒で禁じられていた飲酒や肉食、女犯も行い、森侍者という盲目の側女や岐翁紹禎という実子の弟子もいました。