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三岸節子

三岸節子 さいたさいたさくらがさいた

洋画家、三岸節子は愛知県起町(後の尾西市、現・一宮市)に生まれました。淑徳高等女学校を卒業後、16歳で上京。洋画家の岡田三郎助に師事します。1924年、女子美術学校を卒業し、三岸好太郎と結婚しました。1920年、春陽会第3回展に初出品し初入選。3人の子を育てながら制作を続けますが、29歳のときに夫が急死します。しかし、彼女自身は絵への情熱は衰えることなく、1936年には当時の画壇で活躍していた女性画家7人で七彩会を結成しました。1945年、戦後初の個展を銀座で開催し、2年後には女流画家協会を創立します。1948年、洋画家の菅野圭介と別居で再婚しましたが、5年後に解消。翌年に初めて渡仏します。1年半のち帰国しましたが、63歳で再び渡仏します。1988年、勲三等宝冠章を受章。1989年に帰国、3年後には女性画家としては初めて米国ワシントン女性芸術美術館で展覧会が開催されました。戦前は様々な色彩で表現した静物画を制作していましたが、フランスで触れた原始美術に感銘を受け、帰国後は埴輪をモチーフとして描きます。神奈川県大磯に移り住んで以降は、原色で彩られた連作を発表。再度フランスに渡り、異国の景色に心を動かされた節子は力強い筆づかいの風景画を描き始めます。「小さな町」(三岸節子記念美術館所蔵)は、スペインのアンダルシア地方の町がモチーフとなっています。「三岸の赤」として知られる巧みな朱色が屋根を彩り、強烈な存在感を放っています。89歳で再び日本へ戻りましたが、その創作意欲は衰えることがありませんでした。彼女はこうした創作意欲、女性画家の地位向上の功績が認められ、女性画家初の文化功労者に輝きました。花を愛し、生涯に亘り描き続けた節子でしたが、遺作ともいわれる「さいたさいたさくらがさいた」(三岸節子記念美術館所蔵)は、まるで地面から吹き出しているかの様な花と色彩が見る者を圧倒します。画家の人生の集大成ともいえる大作です。