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「古書 与謝野鉄幹」
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古書 与謝野鉄幹

与謝野鉄幹

明治時代の歌人であり若い歌人たちの師でもあった骨董買取・与謝野鉄幹。彼は明治6年、京都に生まれます。歌人で思想家の与謝野晶子の夫であることも有名です。彼は学校令に囚われない自由な学校を理念に掲げ、芸術に関する学校として文化学院の創立にも携わっています。歌人としては与謝野晶子と再婚してからというもの、極度の不振に陥ってしまいます。慶応義塾大学の教授となり水上連太郎、佐藤春夫などを育て上げるものの、やはり夫人の華々しい活躍とは対照的な状況であったとも言えます。大正時代の一時、歌壇から離れていた時期もあります。しかし、彼は歌人としてだけではなく歌壇の中心的存在として文学を盛り上げるために明星を創刊。北原白秋、吉井勇、石川啄木など多くの才能を発掘しています。また、後の夫人となる与謝野晶子も彼が見つけ、育て上げたのです。与謝野鉄幹は日本近代浪漫派をけん引してきた存在であると言えます。短歌の革新とともに、日本の浪漫主義運動を推し進める活動を続け、明星自体も発信の場であるとともに、若い歌人の育成の場になったという側面もあります。

浪漫主義の考え方を実践した生涯

彼の生涯や文学に対する姿勢を語る上で、浪漫主義を語ることは欠かせません。これは古典的な形式にとらわれず自由な自己表現をするというものです。その中で思想的にも既存の社会体制に対するカウンター的な考えや、自然への回帰、恋愛についての情熱的な感情、神秘的な思想などが挙げられます。与謝野鉄幹は人間的にも破天荒な存在であり、結婚後も女性関係についてはあまり良い評判ではなかったからです。明星に所属する女性作家も、彼の色気によってひきとめられていたと言われています。しかし、これも浪漫主義的な思想が強い彼ならではのエピソードと考えることができます。やはり、人の琴線に触れる言葉を発せる人は、どこか常人とは違った感覚を持っているものなのです。彼の場合、文学、特に短歌に関する革新的な考え方を普及させようとする意欲や、浪漫主義の考え方を実践した生涯だったのかもしれません。