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「中川一政(なかがわかずまさ)」
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中川一政(なかがわかずまさ)

明治から平成の長きにわたり活動した芸術家。 油彩画のみならず、岩彩、挿絵、などの絵画や、 書、陶芸、詩歌、装丁、エッセイなどの多分野で活躍し、非凡な才能を発揮した。

独学には干渉も束縛もない。一人一人が独裁者である

1893年、東京市本郷区西片町に生まれる。 父は中川政朝、母すわ。 神田錦成中学時代には、すでに若山牧水主宰「創作」に短歌、詩、散文を投稿し、掲載されていた。この頃から表現するための「あふれる何か」を持っていたのだろう。 「独学には干渉も束縛もない。一人一人が独裁者である」 美術学校に通うわけでもなく、特定の指導者に師事することなく、組織に属するわけでもなく、頼みにしたのは唯一おのれの才能のみだった。もちろん、天賦の才能はあったに違いない。 1914年無名の新人は、初めて描いた油絵「酒蔵」で巽画会展に入選して、鮮やかなデビューを果たす。翌年、岸田劉生、木村壮八らと草土社を結成したが、のちに関東大震災で岸田が京都に移住してしまうと社は自然に解散。中川が唯一よりどころにしたのは二科受賞後、設立に参加した春陽会だった。

自由な表現方法

表現手段は絵画にとどまらず、自分を突き動かす感動を肉眼と心眼でとらえ、自由にあらわした。屋外での制作活動にこだわり、アトリエを飛び出して空の下で陽をあび、風にふかれて筆を動かした。亜流を拒み、常にひとり荒野を歩くような道を選んだ中川のイメージは、真鶴(神奈川県)の漁港の岸壁に立ち、来る日も来る日も、20年ものあいだ絵を描きつづけた「福浦時代」に根ざしているだろう。常識の尺度を破る行動をするのが中川なのだ。既に名誉も富も手に入れていた中川がその「福浦時代」を始めたのは56歳の時であった。表現者としてゆるがせにできない「己」を養うためであった。辛らつな批判も浴びたが、意に介さなかった。

ユーモアがひそむ中川の作品

中川の作品には自負心とともに、それを嗤う一種のユーモアがひそんでいる。すぐれた画と、腹の底から発する言葉は、真摯であり軽妙で、見るもの読むものを惹きつけるエネルギーをもっている。自然風物をテーマにした画は力強く奔放な色彩で、中川の自由闊達、伸び伸びとした精神があふれている。 「漁村凱風」「箱根駒ケ岳」など風景画のほか、バラやヒマワリなど鮮やかな花の作品でも知られる。 1991年、97歳で死去。