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「[塗師] 中村宗哲(なかむらそうてつ)」
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[塗師] 中村宗哲(なかむらそうてつ)
千家十職のうちの塗師(ぬし)の家門。当主が宗哲の名を世襲し、現在の当主は13代目。12代宗哲は11代の長女で、女性として初めての職家となった。13代目も12代目の次女である。茶道具の専門「型物塗師」として製作活動をしているが、明治までは蒔絵入りの家具なども作っていた。後桜町天皇の即位の調度品を納品したこともある。
代々の宗哲は、俳句や書画、詩歌などに造詣が深い。技術とともに馥郁(ふくいく)たる旺盛な風流の精神を漆に反映させた。 その宗哲の歴史に近年、女性が加わったことは新たな伝統の始まりといえるだろう。
塗師に転ずるきっかけ
中村家はもともと 豊臣秀吉の臣下の武士を祖とする家系である。秀吉征伐の大阪の陣から遠ざかり、京都市中に居を移し静かな暮らしを求めた中村家だが、それが家職を塗師とする一門に転ずるきっかけとなった。隣家が塗師「吉文字屋」だったのである。吉文字屋・吉岡家には、茶人、千宗旦(利休の孫)の次男甚右衛門が養子に入っており、千家とのつながり深かった。つまり利休のひ孫が隣に住んでいたのである。その後、甚右衛門が千家に復することになったとき、隣家の初代宗哲(当時は中村八兵衛)に自分の娘を嫁がせるとともに、塗師の業と吉文字屋を譲った。新たな伝統の始まり
歴代中村宗哲の中でも傑士と言われるのが三代目宗哲で、彼は美の巨人利休遺愛の茶道具から型を写し、「利休形」として十二器をパターン化した功績が大きいが、宗哲の作で特に有名な品はなんといっても「棗」(なつめ)だろう。 棗は茶器の一種で抹茶を入れる木製漆塗りのふた付き容器のことである(現在では薄茶をいれる塗物の器を総じて呼ぶ場合もある)。形が植物の棗に似ていることからそう呼ばれるようになった。 あの「棗」の形、つややかさ、愛らしさ、塗りあがりまでの工程は10以上あり、木地とよばれる精巧な素地の木の器に下地の漆を塗り重ね、丹念に研いで形を整えます。最後に上塗りを施して「塗りあがり」になるが、塗り重ねる漆は数種類に及び、種類の異なる漆を使うことで変形を防いでいて、蓋の合わせ具合や精密な面取り、透明感と深みのある棗の表情、数百年を経た今でも変わらない「形」と「洗練された気品」が宿っている。代々の宗哲は、俳句や書画、詩歌などに造詣が深い。技術とともに馥郁(ふくいく)たる旺盛な風流の精神を漆に反映させた。 その宗哲の歴史に近年、女性が加わったことは新たな伝統の始まりといえるだろう。