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「五姓田芳柳(ごせだほうりゅう)」
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五姓田芳柳(ごせだほうりゅう)
五姓田芳柳は、下総国猿島郡沓掛村(現茨城県坂東市沓掛)に6男に生まれました。 洋画家であり、浮世絵師でもあった初代五姓田芳柳 の養嗣子となって、英国人画家ワーグマン、サンジョバンニ、カベレッチらの影響を受け、日本洋画界に名を残しました。
洋画家、五姓田芳柳は、1878年に上京して、初代五姓田芳柳の門に入り、息子義松の弟子になって洋画を学んだのです。洋画と日本画、また、それを融合させて幅の広い画を展開し、歴史、風俗、肖像、風景などいろいろな作品を数多く描きました。
水彩画においては、草分け的な存在で、1884年に描いた「新潟 信濃川」は丁寧な写真のように見たままを写実的に描いています。この絵は、二世五姓田芳柳の世間に知られている中で最初の水彩画となっています。
初代五姓田芳柳が魅せられた五姓田芳柳の才能
明治神宮外苑にある「聖徳記念絵画館」の壁画の制作の中心リーダーを担いました。ここには、明治天皇の業績を扱った著名画家による絵が掲げられているのですが、彼はすべての下絵を描いています。風景や建物を現地に赴いて見て、人物の服装まで歴史学者に意見を聞き、精巧に修正していきました。 第2回内国勧業博覧会、第3回と出品し、1925年以降は明治美術会、各国博覧会にも出品、文展以降は作品を出品せずに種々の以来に応じて歴史画や風俗画を描いています。明治時代を回顧したものが主なもので、聖徳記念絵画館考証図、明治天皇御事績画、笠置山、吉野山などがあります。 日本赤十字社特別社員で、同社の依頼のものが多数ありました。 普通、息子に二世を継がせると思うのですが、彼の場合は、養子で入婿だったのにとても不思議なのです。きっと、彼の才能に初代五姓田芳柳が魅せられたのでしょう。 面白い絵があります。五姓田芳柳の「上杉景勝一笑図」なのですが、上杉謙信のあと、上杉家17代目となって、とにかく厳格で無口であったとされていますが、その景勝が、生涯に一度だけ笑ったことがあるという逸話が残されています。飼っている猿が、景勝が脱いだ帽子をかぶって頭を下げたりして振りを真似していたので、景勝も我慢できずに笑ってしまったのです。 そんな場面を写実的に描いたのが、この作品です。