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「宮本三郎」
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宮本三郎

宮本三郎

宮本三郎は1905年に石川県に生まれた日本を代表する洋画家です。画家を目指して上京した後、川端画学校洋画部で藤島武二に師事しています。数々の作品を残し、69歳までの生涯現役で画家人生を貫いて生きました。宮本三郎に特徴はその作風の移り変わりの多さにあります。まず、従軍画家としてリアリズムな作品を描かなくていけない状況の時代であれば「山下、パーシバル両司令官会見図」などの名作を残しています。はたや、荒々しいフォービスム的な作品を描いていたりと、本当にマルチな画風を持った天才画家といえるのです。そして宮本三郎を語るのであれば、その類い稀なるデッサン力にあるのではないでしょうか。その実力と力量はなんといっても、そのデッサン力にあります。あのデッサンの神、と呼ばれていた安井曽太郎でさえも一目置いていた程であったといいます。風景画であったり、動物などを描く作品も数多く描いた宮本三郎ですが人物、特に裸婦を描くことに没頭していきます。人間との対決は絵画でも永遠なこと、と語る宮本三郎は心血を注ぎ、自らの生涯に人間を描き続ける道を選択しているのです。そんな宮本三郎の作品で素晴らしい評価を得ている作品が「レ・トロワ・グラース」です。3人の裸婦が木々の中に近づきあった美しく、写実性に富んだ作品です。やはり、そのデッサン力で型どられたラインが艶めかしい婦人たちの体を映し出しています。さらに、その陰影の使い方が虚ろな空間をを表現し、さらにはその世界観を強く表現されています。自らの作品をストイックに描き続けるだけでなく、教育という観点からも日本の美術界に貢献してます。東京教育大学の非常勤講師や金沢美術工芸大学の名誉教授など、数々の功績を残しているのです。また、雑誌の挿絵や新聞小説の挿絵などマルチな活動を繰り広げていたことでも有名です。日本の美術界にとり、重要な役割を果たした宮本三郎。彼の功績は後世に永遠に語り継がれるのではないでしょうか。