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「小林清親」
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小林清親

小林清親

最後の浮世絵師、骨董買取・小林清親。小林清親は、明治浮世絵の三傑の一人として数えられている浮世絵師で、月岡芳年、豊原国周に並び、明治時代を代表する絵師の一人です。彼は明治7年苦しい生活から脱却するために絵師を志しました。イギリス人画家であるチャールズ・ワーグマンに西洋画の技法を学びましたが、師弟関係は長く続きませんでした。ワーグマンの元を離れた小林清親は、上京し、日本画を「画鬼」河鍋暁斎や柴田是真と言った有名な絵師のもとで学びました。この頃に写真の技術も学んだ小林清親は、「光線画」という浮世絵のジャンルを築き上げました。光線画は文明開化の中で、江戸という都が東京へと変わっていく様を描いた風景画で、光と影の効果を絵の中で存分に活かしています。光線画の独特な画風は、写真を学んだ小林清親だったからこそ作り上げることが出来たものだったのでしょう。小林清親の作品に「開化之東京 両国橋之図」という、文明開化の頃の両国橋の風景を描いた作品があります。橋を渡る人、船を漕ぐ人などを黒いシルエットで描き、描かれた家々や船の上に灯る明かりを際立たせ、夜独特の美しさを描いています。見たものを見たままに描いたと言える作品で、実際に自分が当時の両国橋の近くに立っていて、そこから望む夜景を楽しんでいるような気持ちになれます。手前の橋と奥の風景の遠近感により、狭いはずの紙の上に、無限大の世界を広げている「開化之東京 両国橋之図」は、欧米の画家、ホイットラーなどにも影響を与え、浮世絵という絵画のジャンルが世界に与えた影響の大きさを表しています。彼が「最後の浮世絵師」という理由について紐解いてみましょう。江戸が東京へと変わっていく頃、小林清親は浮世絵という一つの絵画の世界で文明開化を起こしたのです。既存の浮世絵にはなかった全く新しい表現法を確立し、人々を驚かせ、魅了しました。様々な技法を会得した小林清親が描く浮世絵は、過去の浮世絵とは全く違うと思います。それは、過去の浮世絵よりも優れているとか、優劣があるとか、そんな次元の話ではないのだと感じました。「最後の浮世絵師」小林清親は、己の中で浮世絵という絵画を違う次元へと導いた最高の浮世絵師だったのでしょう。