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「山下新太郎」
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山下新太郎

山下新太郎 靴の女

洋画家・山下新太郎は東京一とも言われていた根岸の表具師の家に生まれました。1901年画家を死亡し藤島武二に師事して、木炭画を習いました。東京芸術大学(当時の東京美術学校)に入学。青木繁、熊谷守一などが同期にいます。在学中は黒田清輝に師事。1904年には成績優秀者として東京美術学校西洋画科を繰り上げ卒業。その次の年、パリに留学します。ラファエル・コラン、エコール・デ・ボザール、フェルナン・コルモンに師事。1931年再びパリに留学し、ギメ東洋美術館所蔵の屏風絵を修復。この功績が認められフランスより、翌年レジオンドヌール勲章を授与。日展運営会常任理事、国立近代美術館評議員、日展理事、日展顧問を経て、1955年文化功労者、1964年勲三等旭日中綬章受賞。オーギュスト・ルノワールに影響された画風と言われていますが、まさに「靴の女」や「読書の後」は、ルノワールの再来と言ってもいいくらいにルノワール色の濃い洋画です。「窓際」は、パリ留学中にサロンに入選したものです。これは、ブルガリアの女流画家をモデルにした作品。6階の部屋の窓外の眺望をバックに描いています。このころはまだ、ルノアールの影響を直接受けておらず、線描写がまだ固いタッチで、「色彩は貧しく、光線は確かに不純である」と高村光太郎に評されています。日本人が描く絵ではないような洋画ですが、逆に水彩の画帖などは日本の墨絵のような作品で、敦煌から招来された仏画の修復をも手がけることになり、油彩画の修復や保存を学んで、草分け的な存在にもなりました。額縁にも凝って、蒐集家となり、自作の額装にもこだわり続け、著書もあり、絵の科学、油絵の科学などを出版しています。彼が留学先から帰国後、描いた作品は当時の若い画家たちに新鮮で鮮烈な刺激を与えました。作品は、自然光で、明るくあたたかな家族の肖像画や風景、静物画などがありました。感想として、山下新太郎の渡欧時代の絵と帰国して描いた絵が技巧や色彩は帰国して上達したとは言え、ただ、留学時代の絵にはまっすぐな彼の真摯な描き手としての気持ちが帰国して描いた絵とは全然違うような気がして、だれかが述べていましたが、私も一抹の寂寥感を感じました。